愛媛の祭神(伊豫豆比古命、伊豫豆比売命)のおさらいとまとめ

はじめに

愛媛の祭神「伊豫豆比古命(伊予比古命)」「伊豫豆比売命(伊予比売命)」は夫婦神として知られています。
夫婦神でありながらも、現在、そのご神体は別々の神社に安置されていることを、お話してきました。現在は伊予比古命は「伊豫豆比古命神社(椿神社)」、伊予比売命は「日尾八幡神社」にご神体が安置されています。

今回は、原点にさかのぼり、夫婦神の御神体が一緒に祀られていた当時は、どのあたりに祀られていたのか、これまでのおさらいをしながらまとめました。

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2300年前に二神(伊豫豆比古命、伊豫豆比売命)の漂着(椿神社伝)

2柱の伝説としては2つあります。
その一つ、伊豫豆比古命神社(椿神社)の社殿によると、今から約2300年に伊豫豆比古命と伊豫豆比売命の二柱の神様が、船山という場所(椿神社の境内にある岩)に船を寄せたと伝わっています。
現在、椿神社の鎮座している場所は松山平野の内陸部ですが、このあたりまで海岸でした。
椿神社の名前の由来も鎮座していた場所が「津(港)の脇(つわき)」にあり、なまって「椿」になったという説もあります。
また、椿神社のある場所は海人族(あまぞく)が信仰を集めていたとも言われています。
海人族とは、安曇氏、和邇氏、尾張氏、三輪君系(賀茂氏、諏訪氏、守矢氏、宗像氏、上毛野氏、下毛野氏など)といった地祇系の氏族で、越国が滅んだ中国の江南から紀元前に日本列島に到来した種族と考えられています。

紀元前300年は、弥生時代中期ごろのこと。
紀元前1000年頃九州地方で水稲が始まり、この時期には東北地方まで水稲が広まっていた時代です。
中国では、春秋戦国時代後期にあたり、多くの国々が滅亡、他国へ逃亡していた時代。
日本にも呉、越国を中心とした江南系渡来人が漂着し、多くの文化が持ち込まれていました。

二柱が船山に寄せた時、出迎えたのが先住民の代表である潮鳴栲綱翁神(しおなるたぐつなのおきなのかみ)とあります。
椿神社の創建年代と、越国が滅んだ時期がだいたい合致。愛媛の豪族、越智氏(おちし)の「越(wo)」も南越の越からきているように、伊豫豆比古命と伊豫豆比売命の二柱も江南あたりからきた渡来系の神なのかもしれません。

2柱が別々に祀られた歴史(日尾八幡神社の社伝)

2つ目は、日本最古の政庁(久米官衙遺跡群)があった久米にある日尾八幡神社の社説です。
この神社での2柱の呼び名は伊予比古命(いよずひこのみこと)、伊予比売命(いよずひめのかみ)です。なぜか、比売のほうが「かみ」。

これによると、2柱は伊予国の地神として、またこの地を統治していた久米氏の祖神として久米郡神戸郷古天野神山(現 小野村大字小屋峠)に祀られていたと伝えます。
後に2度洪水にあい、1度目は洪水により社殿が崩壊して平井谷明神ヶ鼻に遷座します。
その後、917年(平安時代)に再び水害に遭い、伊予比古命のご神体は椿神社の近くにある天山に、伊予比売命のご神体は日瀬里(現 久米窪田)の龍神淵にて引き上げられました。

そして、伊予比古命は伊豫豆比古命神社において祀られ、伊予比売命は日尾八幡神社に祀られ現在に至ります。
日尾八幡神社は、創建が752年(奈良時代)で、久米八幡神社と呼ばれており、後に日尾八幡となりますが、いつそのような名称になったのかはよくわかりません。

名前からすると、日尾=フェニックス=鳳凰なのでしょう。
ここでの夫となる神は太陽神「饒速日命」なので、伊予比売命は太陽の神格だと思います。
愛比売命は2つの伊予神社に祀られていますが龍神で、水の属性。
矛盾するようにみえますが、日月神の視点から考えるとおかしくはありません。)

龍が日本に伝来したのは弥生時代(2,3世紀)のこと。
瀬織津姫は縄文の神といわれますが、瀬織津姫が龍神なら弥生時代つまり渡来系の神ということになります。

愛媛県民は渡来系の血が強いんですよね。
龍は弥生時代に中国から渡ってきたもので、縄文時代には龍の概念は日本人にはなかったと思います。
となると、瀬織津姫は龍神であり縄文の神とも考えられていますが、これは間違っているように思われます。渡来系(南方系、女神崇拝)の越智氏も瀬織津姫を祀っている神社が多いので、瀬織津姫は渡来系女神ではないかと思われます。
(記紀が編纂されたのが奈良時代。縄文時代はそれから1700年も前。
そんなに離れた年代の神をわざわざ持ち出すことなどあるんかな。)
まさしく、愛媛は、愛比売神の女神が住む県なのです。

日尾八幡神社の入り口に「鳥舞、魚躍」の文字があります。
この文字は江戸-明治時代の日尾八幡神社神官であり、書家でもあった三輪田米山によるものです。
椿神社にも同じようなものがあるのかと調べるとありました!
椿神社のほうも同じ米山の書によるもので「鳳舞、龍遊」。
鳥🐥ー蛇🐍の関係ですね。

小屋峠の位置 ~伊予比古命 伊予比売命の夫婦神の祀られていた場所~

2柱が夫婦神として一緒に祀られていた場所が、小野村小屋峠。
グーグル上では場所がよくわかりませんが、愛比売伝さんのいうには、高縄山麓、新宮神社の付近にあたる場所のようです。
昔の人は山の中に住むのが好きですね。
このあたりは、猿田彦の視床下部(自律神経中枢部)に当たる部分になります。
椿神社は瞳の部分。

伊予比売命と、伊予比古命は夫婦神、伊予国の神として、2000年以上昔から、祀られていました。
その場所は、現在の場所ではなく、
久米郡神戸郷古天野神山(現在の小野村大字小屋峠)でした。
小野村、小屋峠とは、前回お話した、新宮神社や、三島神社のあの道から見える山です。

ご神体に導かれ   「日尾八幡神社・龍神社」

で、その新宮神社をみつけてびっくりしました。
それは「三本杉」マーク・・・。

「三本杉」といえば、奈良県桜井市大神神社(おおみわじんじゃ)の御神紋。

大神神社の神紋「三本杉」

私が関西在住中、大神神社で不思議な体験をしたときから突然、興味も全くなかった記紀を読み始め、
大神神社の祭神大物主神が私の祖神にあたることを知り、
さらには、愛媛の祭神の御神体の近くで育ってきたことを知り、
その原点に到達した場所にまさかの三本杉・・。

この三本杉は、四国では高知県大豊町の大杉高さ60mに次ぐ高さ55m(愛媛で最大)で、このように形の整った三本杉は珍しいようです。
現在は市指定天然記念物に指定されています。


なんか、ドラクエのようなロールプレイングゲームの謎解きをしている不思議な感じです。

世界の太極に当たる四国。
四国には不思議がいっぱい存在します。

基本「渦(とぐろ)」を巻いて世の中はできている。

そして、その完成形は蛇と鳥の関係になっている。

この夫婦神には「Hello Again」~。

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