ニギハヤヒの正体のヒント 鳥-蛇(日月)の関係(世界の共通シンボル)

はじめに

なぜか、私は鳥に好かれます。

ベランダにハトが巣つくったりして、鳩害にあったこともありますが、ここ数年はトンビに好かれています。
ここ風の時代に入る頃から、トンビが私の上にぴったりついてくるんですね。
空には一匹もいない状態が、近くの山から次々と湧いてきて、1匹くらいならともかく20~30羽くらいが、じーと獲物でもとらえるかのように頭上を飛ぶんです。動物はどうも人から発する気のようなものを感じ取る感覚機能が備わっているのかな。
八幡の意味を外でぼーと考えていたとき、トンビがぐるぐる回っているのをみて
「蛇は地上のトグロ、トンビは空のトグロか」
と思い付き、八幡神は蛇鳥のことかと知るのでした。

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鳥―蛇=太陽ー月

古代文明で共通してみられるシンボルには生命力、再生、農耕、水神的を意味する「蛇」に関係するものが多いですが、「鳥―蛇」のペア関係もよくみられます。
共通して、その法則的意味合いには、鳥は天空を象徴して太陽と結びつけられ、蛇は大地、土壌、あるいは水神を象徴して月と結びつけられる傾向がみられます。

世界にみられる鳥ー蛇ーのシンボル

紀元前1万年~紀元前8000年 トルコ ギョベクリ・テペ遺跡


鳥―蛇のシンボルで最古のものがトルコ南東部に存在する紀元前1万年前のギョベクリ・テペ遺跡のものです。頭部が鳥、下部が2匹の蛇が絡まった絵柄の像が出土しています。

紀元前5000年~紀元前2000年:中国 長江文明

中国の長江流域に住む長江文明を築いてきたとされる苗族(みゃおぞく)は鳥、太陽、蛇をトーテム崇拝している民族で、集落の真ん中には水牛と蛇(龍)のシンボルがある長い柱の上に太陽の昇る方向を向いた鳥が乗っている蘆笙柱(ロショウバシラ)という柱が立っています。柱の上の鳥が太陽を呼び、水牛と蛇(龍)が雨をもたらすとされています。

紀元前5700–4500年:ギリシャ ヴィンチャ文化

鳥の頭に蛇のシンボルの渦巻き装飾女神像 
ギリシア、前4000年ごろ

猫女神

多数の日本の縄文土偶と類似した土偶が発見されているヴィンチャ文化では、集落趾のすべてから<鳥女神>像が発見されています。鳥女神とは、鳥の神と蛇の神との結合から導き出された女神で、上半身が鳥、下半身が降雨を表す文様が描かれ鳥―蛇―女神が一体となって崇拝されています。

紀元前5000年~紀元前332年:エジプト文明

古代エジプトの人々は、ナイル川流域の土地を上エジプト(南側)下エジプト(北側)と分けて理解していました。不毛の砂漠地帯が広がっていた灼熱の大地上エジプト、ナイル川の広大で緑と水源豊かなデルタ地帯が広がる下エジプト 。南の上エジプトは太陽と鳥が象徴とされ、北の下エジプトは月とコブラの蛇が象徴されてきました。

古代エジプトでは非常に古くから、太陽と月は、ハヤブサの姿あるいは頭部を持つ天空神ホルスの両目(「ホルスの目」)だと考えられてきた。やがて二つの目は区別され、左目(「ウアジェト(ウジャト)の目」)は月の象徴、右目(「ラーの目」)は太陽の象徴とされた。

ネクベト

上エジプトの守護神であり下エジプトを守護するウアジェトと共にファラオの守護者、王権の象徴とされた。「ラーの目」といわれる。ラーは自らを崇め敬わない人間を滅ぼすため、自らの片目(右目とも左目とも)を雌ライオの頭を持つ破壊の女神セクメトに作り変え地上に送り、人間界で殺戮のかぎりを尽くさせた。

ウアジェト

ウアジェトは、コブラの姿、あるいは、頭上にコブラをつけた女性の姿で描かれる、下エジプトの守護女神。信仰の中心地はブト。「ウアジェトの目」と言われ月の象徴。これは、ホルスが父オシリスの敵セトを討つ時に奪われた左目。「全てを見通す知恵」や「癒し・修復・再生」の象徴(シンボル)とされた。

紀元前2600年~紀元前1800年 インド バラモン、ヒンドゥ教

ガルダ(ガルーダ)は、インド神話に登場する炎の様に光り輝き熱を発する神鳥であり、ヴィシュヌ神の乗り物。「水銀のように動く者」、「インドラを滅ぼす者」、「鳥の王」などの異名をもちます。
その一族はインド神話において人々に恐れられる蛇神ナーガ族と敵対関係にあり、それらを退治する聖鳥としても崇拝されています。
絵画や彫像などではガルーダが蛇(ナーガ)をくわえたり、掴む姿として表現されています。
また、バラモン・ヒンドゥー教と対立にあった仏教ではガルーダは迦楼羅(カルラ)、ナーガは仏法を守護する八大龍王となります。

紀元前1500年頃 ギリシャ神話 ケーリュケイオン(カドゥケウス)の杖

ギリシア神話における神々の伝令役が持っていたのが「伝令使の杖」の意味をもつケーリュケイオンの杖。特にトリックスターとして登場するヘルメースの持ち物として有名です。(ローマ神話ではメルクリウス(マーキュリー)の杖。)ヘルメースは神や自然界の秩序を破り、物語を引っかき回すいたずら好きとして描かれる人物で、善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など、全く異なる二面性を併せ持つ)持つ。幸運と富を司り、狡知に富み詐術に長けた計略の神、早足で駆ける者、牧畜、盗人、賭博、商人、交易、交通、道路、市場、競技、体育などの神であり、また雄弁と音楽の神でもあり、竪琴、笛、数、アルファベット、天文学、度量衡などを発明し、火の起こし方を発見した知恵者とされたキャラクター。
聖鳥は、雄鶏と朱鷺(トキ)であり、巨人から逃れる時には朱鷺に変身しました。
気分が変わりやすく、そのすばしっこい流動性から水銀のシンボルとされます。
ヘルメースのもつ柄は2匹の蛇が巻きつき、上部にはヘルメースの翼がついた黄金の杖。
これも、「鳥―蛇」の関係になっています。

1428~1521年 メキシコ アステカ文明 ケツァルコアトル

アステカ神話のケツァルコアトルは、水や農耕に関わる蛇神であったが、後に文明一般を人類に授けた文化神と考られるようになりました。また、ギリシア神話におけるプロメテウスのように、人類に火をもたらした神ともされ、「五つの太陽の神話」の中では太陽神としての神格として描かれています。
その名は古代ナワトル語で「羽毛ある蛇」(ケツァルが鳥の名前、コアトルが蛇の意)を意味し、その蛇と鳥が合体したような姿で描かれます。

また、メキシコの国旗の「湖の中央の岩に生えるサボテンに蛇をくわえた鷲がとまっている」図は、アステカ神話にあった「そこに首都を創設せよ」という予言を示しています。

日本

記紀には神武東征のとき、神武軍が大和で長髄彦と戦っている際に、金鵄(きんし 金の鳶トビ)が天皇の弓に止まって、その発光する光で長髄彦の軍兵たちをくらませ東征軍が勝利したことが記されています。(長い弓は=蛇で蛇鳥の関係を表しているのか?)
それはともかく、神武軍が大和で戦ったあたりは、蛇神と関わりのある桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)があります。

大神(オオミワ)神社は、三輪山をご神体とし蛇神の大物主神を祀る神社として知られています。
このあたりでは、三輪へいくことをトンビと思わせる「トビ」と言い、蛇のことを「ミイ(巳)さま」と呼ぶようです。

八幡神を祀る神社の総本社が大分県にある宇佐八幡陣社。
三輪氏系の大神比義(おうが ひき)が宇佐八幡神宮の始祖ともいわれています。
『宇佐宮託宣集』には、蛇が鳥に変わったという話がでてきます。

く『託宣集』霊五の巻に、隼人征伐のときの神託として、「下毛郡野仲の勝境、林間の宝池は、大菩薩の御修行の昔に、湧出した泉である。東西四五町、南北十余町ほど……。霊本・薬草が生おい茂って近づけず、果実・鳥獣が多く集っている……。林を出れば日月の下、林に入れば天地の外、ある時は霊蛇が気を吹て晴天に雲をなし、それがある時はと化して光を放ち暗夜が昼のようになる……。この宝池は一面にして三角をなし、薦(マコモ)が茂っている……。この薦をもって御枕となし、百王を守護するの誓となす……。」

富来隆とみくたかし「卑弥呼-朱と蛇神をめぐる古代日本人たち-」

また、八幡神社は、宗像三女神、応神天皇(誉田別命)、神功皇后が祭神とされます。
神功皇后は応神天皇の母で、別名気長足姫(おきながたらしひめ)といいます。
宗像三女神は、水神、蛇龍神として、気長足姫も長(ナーガ=蛇)と解釈されます。
応神天皇は下記の宇佐神宮の社伝によると、「黄金のタカ」と表現されています。
大神神社と宇佐八幡神宮はともに三輪氏系が関わっていますが、「蛇と鳥はペア」であることを物語ったいるように思います。

宇佐神宮の社伝によると、欽明天皇29年(569年)のこと、宇佐神宮境内の菱形池(ひしがたいけ)のほとりの泉が湧き出るところに、八つの頭という奇異な姿の鍛冶翁(かじおう:鍛治をする老人)が現れて、この姿を見た者はたちまち病になったり亡くなったりと奇怪な出来事が続いたという。そして、大神比義が見に行くと、そこに老人の姿はなく、代わりに金色のタカが見えたといい、比義が「その姿は自ら変わったのか?それとも誰かに変えられたのか?」と尋ねると、タカは金色の鳩となって比義の袂の上に止まったという。これを「神が人を救済しようと自ら変化された」と悟ると、比義は3年ほど断食をして祈りを捧げ続けた。そして、欽明天皇32年(571年)にこの泉の傍の笹の上に光輝く3歳の子供が現れ、「我は、譽田の天皇広幡八幡麻呂(ほんだのすめらみことひろはたのやはたまろ)なり。神道の神として現れた者なり」と告げられたという。そして、再び黄金のタカとなって、駅館川(やっかんがわ)の東岸の待つの上にとどまったと言われ、これをのちに、和銅元年(708年)に鷹居社を建立し、そこに八幡さまを祀ったのが宇佐神宮の始まりだという。そして、霊亀2年(716年)に小山田の林に遷座し、小山田社を造営。神亀2年(725年)に現在の社地へとご遷座を繰り返し、今の宇佐神宮となった。結果、八幡神は応神天皇の霊格と鍛治の神の御神威が加わったことを意味する。



宇佐神宮(宇佐八幡宮)

また、奈良桜井市大神神社(おおみわじんじゃ)の近くには外山(トビ)という場所があり、そこには宗像神社があります。トビとは宗像神の化身という意味があるようです。八幡神も宗像三女神が祭られているのでトビー八幡神ー宗像神と結びつくんですね。それで、私はトンビに好かれていたのかと納得。ほんと私は女神に好かれてますね。それ故女運がないんだわ。

三輪山周辺に残る出雲の謎?!(5)/外山(とび) | 風主の大神古代史研究会 (ameblo.jp)

また、宇佐八幡宮のある大分県(豊後)には「もちを矢でいると白鳥となった」という伝説も残っています。
餅は、カガミモチが蛇を表しているように、白蛇のことなのかもしれません。

「豊後国風土記』( 跚頁)ある百姓が水田を開くと大いに収穫を得た。奢って餅を弓の的にしたところ、餅が白鳥となって南の方に飛び去ってしまった。その年の間に百姓は死に絶え、その地は荒れはててしまう。

『風土記』と昔話

大分県は中国が隋の時代に秦王国と呼ばれていましたが、後に秦氏が京都伏見稲荷大社の創建に関わります。「イナリ」の縁起としては『山城国風土記』にあったとされる秦伊侶具のものが有名です。ここにも「豊後国風土記』と同じように餅を矢で射ると餅が白鳥に代わって飛び立ったという類似した話がでてきます。

風土記に曰はく、伊奈利と稱ふは、秦中家忌寸(はたのなかつへのいみき)等が遠つ祖、伊侶具の秦公、稻粱(いね)を積みて富み裕(さきは)ひき。乃ち、餅を用ちて的と為ししかば、白き鳥と化成りて飛び翔りて山の峯に居り、伊禰奈利(いねなり)生ひき。遂に社の名と為しき。其の苗裔(すゑ)に至り、先の過ちを悔いて、社の木を抜(ねこ)じて、家に殖ゑて祷(の)み祭りき。今、其の木を殖ゑて蘇きば福(さきはひ)を得、其の木を殖ゑて枯れば福あらず。

逸文『山城国風土記』

世界 おまけ

世界はガルーダ🐥、日本はドラゴン!🐉
世界の地形は神秘だな=

参考資料

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真理の島 四国(愛媛、香川、徳島、高知)

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