龍と4神獣の日本伝来 ~日本人のルーツ~

はじめに

中国の龍は、紀元前5000年頃には北方地域で現れ、寒冷化による民族の南下に伴ったことで南方の長江文明に龍が伝わりました。しかし、日本への龍の伝来はそれよりもかなり遅く、弥生時代後期(2~3世紀ごろ)に入ってきます。龍だけでなく、白虎、玄武、朱雀といった四神が日本へどのようにして伝わってきたかの流れをまとめてみましたー。

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中国3大文明時代の龍と神獣

龍の原型が完成したのは、中国の遼河文明の北方畑作・牧畜地帯。
紀元前5000年頃、滝の龍神、竜宮城のような水とは無縁な地帯に龍の姿が現れます。

査海遺跡の石龍

黄河文明にあたる仰紹文化の西水披遺跡(せいすいはいせき)(紀元前4400年頃)から、埋葬者の両脇に貝殻によって象られた龍と虎のレリーフが発掘されています。埋葬者は南を向き、東は龍、西は虎が配置されており、中国の空想的神獣の四神、青龍(東)、白虎(西)、玄武(北)、朱雀(南)の原点を思わせます。

河南省濮陽の西水坡遺址で発見された特殊な墓
参考:中国における龍の起源西水坡遺跡の龍虎


その後は寒冷化で南方への民族移動が起こり、おくれること紀元前3000年頃、中国南方の長江文明で龍が出現します。
この頃、日本は縄文中期で、火炎式土器、縄文ビーナスのような立体土偶、渦紋が現れた時代でしたが、龍は日本に伝わるのはまだまだ先です。

中国王朝時代の龍と神獣

紀元前2400年頃~紀元前1900年頃 斉家文化

斉家文化(せいかぶんか)は黄河上流域を中心に紀元前2400年頃から紀元前1900年頃にかけて存在した新石器文化です。ここから、罐(かま)の浮き彫りによる龍に似た紋様の土器が出土しています、この浮彫の龍文は西北地域で発見された中では最古の龍の像になります。

斉家文化出土の土器

紀元前1600年頃~紀元前1046年頃 殷時代 青銅器出現

紀元前1600年頃~起源前1046年の殷の時代になると、青銅器で製造された鏡などの祭器が登場しますが、このころの鏡の文様からは龍などの神獣紋は登場していません。

この時代の祭祀儀礼に使われた青銅容器には龍のデザインが施されています。龍はこの時代になっても足はないものの、角ははっきりと二角になっています。

紀元前771年~紀元前221年 春秋戦国時代

神獣紋の鏡が登場するのは春秋戦国時代(紀元前771年~紀元前221年)になってからのこと。
上部に鹿、左右に渦巻文様の、下部にが四神のように配置された図案の禽獣鏡(きんじゅうきょう)が西周のあった河南省でみつかってます。
この時代には蛇と亀が合体した玄武はみられず、まだこの時期には四神の体裁を整えてはいないようです。

前漢時代(紀元前206年 – 8年)

四神をかたどった銅鏡が現われてくるのが前漢時代から。
しかし、初期の段階から現代のような典型的な四神が登場しているわけでなく、禽獣は4つが多いものの4つのうち2つが虎や朱雀であったりします。
この時代の鏡にも共通して玄武は描かれていないようです。
しかし、『三輔黄図』によると紀元前200年漢の皇帝の宮殿であった未央宮(びおうきゅう)殿屋に
「蒼龍、白虎、朱雀、玄武、天之四霊、以正四方」
と玄武含めた四霊(四神)がしるされています。

前漢中期に准南王(わいなんおう)の劉安が編纂したとされる『准南子』天文訓には、五行思想によって四神が分類されています。『准南子』は季節、方角など全てを五行にふりわけた思想で神獣も同様に蒼龍・朱鳥.白虎・玄武に黄龍をくわえたものとされています。
黄龍の「黄」は、黄帝の黄、黄土(大地)の黄、黄河の黄、さらには黄土を支配する皇帝をイメージさせます。 
中国皇帝のシンボルカラーが黄色となったのも五行説が起源となっているようです。
「木・火・土・金・水」5元素の中でも、人間にとって最重要となるのが、農作物をはじめ万物を生み育てる土(ど)だったようで、4元素に囲まれ中央に配置されています。

四神考 : 前漢、後漢期の資料を中心として
より

「黄」は黄龍で、中心に位置し四方を四獣がとりまく形となります。この時期の鏡や妻室などでは四神は四方に描かれ、中央は空白となっていることが多いようです。
この空白の位置に鏡ならば所有者が、墓ならば墓主が、宮殿ならば皇帝が位置することとなります。四神はその空白部分も合わせて考えると五行思想に組み込まれていることになります。
星座としての四神は東西南北ではなく、十二支の方角と関連づけられ、鏡はほとんどが円形で、日月(じつげつ)を意味するようです。

後漢~六朝時代(25年~6世紀)

この時期の銅鏡は、青龍・白虎・朱雀・玄武の四つだけのものはむしろ珍しく、他の禽獣の数も付随したものが多いようです。
漢代から六朝にかけての石墓に四神の絵が見られます。
代表的なものに前漢代の洛陽壁画墓(玄武は欠)、後漢では平陸壁画墓(1世紀、朱雀は欠)、四川省盧山県郡暉石棺(二一二年)、折南画象石平等があります。

神獣鏡


中国原初の龍は水との関連性が薄いですが、龍と水の結びつきが強くなったのはインド起源の蛇神ナーガと関係が深いと言われています。
古代インドの宗教バラモン教のナーガ神は紀元前5世紀頃興った仏教に取り込まれ、仏法の守護するナーガラージャ(龍王)となります。
紀元前2年~67年頃には中国へ仏教が伝来します。
しかし、ナーガ神は中国にはいないコブラをモデルとしていたため、ナーガやナーガラージャは当時中国で崇拝されていた「龍」「龍王」と訳され、以後の中国の龍は習合し、地上に雨をもたらす水神とみなされるようになりました。
中国の龍は、深い淵に潜んでいる、とされますが、仏教の龍は、水底の七宝で造られた縦横6.000由旬ゆじゅんの宮殿に住んでいる、と言われています。

ナーガとナーギィ

ナーガに守られたブッダ。

日本への4神と龍の伝来

弥生後期

日本に竜が出現したのは、中国の漢民族の間では龍はすでに宇宙的世界観の根本になっていた弥生時代後期頃。(2~3世紀頃)
池上曽根遺跡からは、龍のような足のついた動物が描かれた土器片が出土しています。
こうした土器は船橋遺跡や玉津田中遺跡などでも、井戸などからまとまって出土することから水の祭祀に関係すると考えられています。

つまり、縄文時代の日本人(縄文人)に龍という概念はなかったということになります。
瀬織津姫(龍神)は縄文時代の神様といわれていますが、間違っているのではないかと思われます。
龍神であるなら渡来系の神じゃないのかなと。

日本最古の龍
参照:日本における龍の起源~ヤマタノオロチ~

、       

古墳時代

日本に龍を含んだ宇宙観が伝搬するのは古墳時代以降。北方の騎馬民族文化が朝鮮半島経由で入ってきだしてからのことでした。3~4世紀の古墳には、精巧な舶載鏡(輸入された鏡)やぼう製鏡(国産鏡)が大量に納められており、副葬品の重要な位置を占めていました。古墳時代の鏡は姿を写す面が表、各種の文様と中央に紐を通す鈕(ちゅう)がある面が裏。名称は文様の違いでつけられています。
古墳から出土する中国鏡のほとんどは、後漢時代から六朝時代に造られたものであり、この時代に「四神」の思想や龍のかたちを見ることができます。

飛鳥時代

墳墓に4神が現れるのは飛鳥時代になってからのこと。
奈良県明日香村のキトラ古墳(7~8世紀)、藤原京期(694年 – 710年)の高松塚古墳が知られています。
墓室の東壁に青龍・西面に白虎・北壁に玄武が描かれています。
701(大宝元)年に文武天皇を大極殿に迎えて行われた元旦儀式において、東側に日像(太陽)と青龍と朱雀の3本の旗竿を、西側に月像と玄武と白虎の3本を立てたと続日本紀に記されており、中国に源を発する「陰陽五行思想」の影響を受けています。

青龍

石室内壁画

 

参考サイト

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