大と天と中国の三星堆遺跡

はじめに

国津系と天津系のシンボル「大」と「天」についてきになったこと。

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国津系「大」

日本神話の国津系によくみられる文字が「大」の文字・・。
国津神の筆頭牛神素戔嗚を祀る出雲熊野大社の社紋は「亀甲に大の字」。

火の発祥の神社として「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)とも呼ばれる、素戔嗚を祀る神社。熊野はこの地名の名前で、後に紀伊の熊野三山へ勧請されたという説もある。
出雲の亀甲は亀の甲羅と思っていたが、龍のうろこの意味らしい。亀のシンボルがあるのかと調べてもほとんど見当たらないわけだ。

大国主神、大黒天、大物主、大田田根子、大神、大友主命(三輪氏、楽家大神氏、豊後大神氏)
大年神、神大市比売
大山祇、大三島、大綿津見、大日腹富命(隠岐氏)

大は五芒星ともなり、五行に関係する陰陽道の地祇系賀茂氏へと繋がっていく。

大の漢字の成り立ち

「大」は大きな人の形で、「おおきい、ひろい、さかん、すぐれる」などの意味に使います。人が両手と両足を広げ、正面を向いて立っている形。「大」は、すべて大きく、盛んなものの意味に使われます。

漢字の成り立ち

『説文解字』に「天は大なり。地は大なり。人も亦(ま)た大なり。故に大は人の形に象(かたど)る」とあります。金文の大保(たいほ)関係の器に、大を特に図象にして、すぐれた体格の形にしるすものがあります。

漢字の成り立ち

天津系「天」

一方、天津系によくみられる文字が「天」の文字・・。
大に―を追加して「天」となる。
シンボルは六芒星(カゴメ紋)

天照大神、天忍穂耳命、天穂日命、天火明命
天児屋命、天宇受売命、天手力男神、天忍日命、天津久米命、
天活玉命

人の正面形の上に大きな頭をつけたもので、「天」とはもとは人の頭をいう字です。天空(てんくう)をいう字はもとはありませんでしたが、人の一番高いところにある頭をさす天という字を借りて、空を天というようになり、「あめ、そら」の意味に使います。天は神のいるところと考えられ、天は神聖な(神のように尊い)ところであるという考えは古くからありました。

漢字の成り立ち

天を神聖であるとする考えは殷(いん)の時代にすでにあり、殷(自らは商と名のっていました)は、その都を「天邑商(てんゆうしょう)」とよんでいます。「商の神聖な都」という意味でしょう。天を祀(まつ)る宗教的な儀礼・儀式が行われたことが、周王朝初期の金文によって明らかになっています。
殷王朝から周王朝への交代は天の命(天命といいます)によるという、天命の思想は周王朝になってから生まれました。すべてのことは天命によって決まると考えられるようになり、人の力の及ばぬことを、すべて天というようになり、天は自然という意味にも使われるようになりました。
天に対して地の最初の字形は「墜」(ツイ・チ)で、神の陟(のぼ)り降(お)りするときに使う神の梯(はしご)によって、神の降り立つところという意味を示す字です。神のいるところが天であり、その神が降りるところが墜(ち。地)なのです。

漢字の成り立ち

殷時代の遺跡

四川省徳陽市広漢市で殷の時代(紀元前2000年頃)の三星堆遺跡が発掘されている。
渡来人のトーテムととても似ている。

青銅製の太陽輪
国津神の「大」の字ようにもみえる。

竜一匹、鳥十羽が描かれた青銅の木。古代蜀国の日、鳥、天、竜、木などに対する自然崇拝やトーテム崇拝。日本の渡来人のトーテム


殷は黄河中流の中原当たりの狭い範囲の支配で、三星堆はどちらかというと辺境の地。
殷の青銅器とは異なっているのが特徴。三星堆遺跡はBC850年ころに、放棄されたといわれる。

四川省徳陽市広漢市

中国は漢民族によってつくられたと言われているが、実はほとんどが異民族によって統治されていた。
夏・殷・周時代は異民族出身。夏を起こした禹(う)は西羌地(中国西北部チベットあたり)の出身。後漢書』西羌伝では「羌(キョウ)の源流は三苗(サンビョウ ミャオ族の源流とも)、姜氏の別種」と記載されている。羌族は3000年以上前から存在し縄文人のルーツともいわれている。
羌族と日本人の共通点は、遺伝子Y 染色体ハプロタイプ。
さらに、その祖先は古代イスラエル人という説もある。
三星堆遺跡は三苗化、ミャオ族、日本の渡来人と関係しているのだろうか。

「礼」が萌芽し制度化した時代である夏・殷・周は、いずれも統治者は漢民族ではなく異民族出身者である。その後春秋・戦国時代を経て、秦・漢・三国・晋・五胡十六国・南北朝・隋・唐・五代十国・宋・遼・金・元・明・清という中国の歴史上の皇帝の中で、れっきとした漢民族出身の皇帝は漢・唐・宋・明ぐらいで、その他のほとんどは異民族出身である。

夏・殷・周について孟子は「舜は東夷の人である」と主張し、司馬遷も「禹が西羌地域から興った」と指摘している。また、「商人は中原に侵入し夏族の人民を奴隷のように扱った」とあり、孟子は「(周の開国者)文王は、…西夷の人なり」と指摘している。周はもとは中国以西か北西にいた遊牧部族で、渭水の流域に移り住んで定着し農業をするようになった。周は後に「商」に代わって「中華」の支配者になる。

人民中国より

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真理の島 四国(愛媛、香川、徳島、高知)

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