苗族(みゃおぞく)~日本人のルーツ~

はじめに

日本人の祖先と関連があるといわれるもう一つの民族苗族(ミャオ族)について。

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苗族(みゃおぞく)

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苗族(ミャオ族)は現在は、中国南部(貴州省、湖南省、雲南省、四川省、広西チワン族自治区、湖北省、海南省)、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムにも住んでいる少数民族。中国以外の地域では総称してモンと呼ぶ。
ミャオ族の起源、その歴史についてはまだ明らかにされていないが、その歴史は古く長江文明(紀元前14000年~紀元前1000年)まで遡るといわれる。
夏(か)王朝以前(紀元前2000年以前)の中国は、中国北部黄河文明が畑作、南部長江文明が稲作文化が主流となっていた。
稲作農業は長江中流域で紀元前6000年頃には、確実に巨大な稲作農耕集落を誕生させていたようである。
日本でも縄文時代前期の終わり頃(紀元前4500年頃)には岡山の朝寝鼻貝塚からイネのプラント・オパールが発見されており、陸稲が始まっていた。この時期は熱帯ジャポニカと言われる陸稲で、長江の中〜下流域で栽培されていたものが、縄文時代に日本に持ち込まれたと考えられている。

紀元前5600年頃の浙江省河姆渡遺跡からは、二羽の鳥が五重の円として描かれた太陽を抱きかかえて飛翔する図柄が彫られた象牙製品が出土し、紀元前6000年頃の湖南省高廟遺跡からは鳥と太陽が描かれた土器が多数出土している。長江文明においては、太陽と鳥が信仰されていたのである。

河姆渡遺跡

高廟遺跡
図参考:龍の文明・太陽の文明
著者: 安田喜憲


現在の苗族も太陽と鳥を崇拝している。

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古代神話と苗族の関連性

洪水神話 伏羲(ふくぎ)と女媧(じょか)

中国神話に登場する伏羲・女媧の父は雷公をとじこめていたが、子供たちがそれを解放してしまう。
父は雷公と戦ったが、雷公が大洪水を起こしたため、兄妹を残して人類が滅亡してしまう。兄妹は雷公を助けた時にもらった種を植えており、そこから生えた巨大なヒョウタンの中に避難して助かった。
後に2人は結婚して人類を伝えたとある伝説が中国大陸に広く残されており、類似した話は東南アジアや沖縄にも多数ある。
伏羲は、女媧と同じく中国少数民族の苗族が信奉した神と推測されている。

伏羲と女媧

苗族と三苗と蚩尤(しゆう)

中国神話の三皇五帝の時代、漢族の祖先とされる黄帝と蚩尤(しゆう)が争い、敗北した蚩尤に協力した九黎(きゅうれい 9つの民族)の子孫が後に「三苗(さんびょう)」になったと伝わる。三苗の論戚誼(ろんせきぎ)は、堯(ぎょう)に対して反乱を企て闘いに敗れたのち、南方に落ちのび三苗国を建てたとされる。三苗国は長江周辺、洞庭湖と鄱陽湖の間であるとも見られている。
苗族の祖先を、この三苗や蚩尤と位置付ける説もあるが現時点で確証されていない。
歴史学者・徐松石は原漢族が南方へくだり南方民族と混血したのが苗族と説いている。
鳥居龍蔵は、苗族のつくる銅鼓と日本で出土する銅鐸に似た文様の要素があるという点を指摘している。

三苗(さんびょう)とは? 意味や使い方 - コトバンク
精選版 日本国語大辞典 - 三苗の用語解説 - 〘名〙 中国、古代、現在の湖南省、湖北省、江西省にいた異民族。漢族の統治にしばしば反乱を起こした。苗族。〔書言字考節用集(1717)〕 〔書経‐舜典〕

竜宮伝説

三苗国とされる長江周辺、洞庭湖と鄱陽湖には、浦島伝説の元ネタの神話がある。
日本神話の元ネタは苗族などの江南系が持ち込んだ可能性は高い。
豊玉姫がウガヤフキアエズを産むとき、ワニに変身したというのも龍蛇のことなのだろう。

古くからの稲作地帯である湖南省・洞庭湖(どうていこ)周辺は「龍宮」伝説の宝庫でもある。浦島説話とほとんど同じ話がここには多くある。ただ、日本の浦島説話では「乙姫」は「海神」の娘だが、ここでは「龍神」の娘だ。似た話で思い出すのは、古事記の山幸彦が「海神」の娘と結ばれ、姫がワニの姿となって子を産む神話である。そう、長江流域や日本では、龍の正体は水中に棲むワニであり蛇なのだ。

龍と鳳凰、そして蛇—大陸の北と南からニッポンへ来た文明

日本人との遺伝子の関係

苗族など、長江中下流域で稲作を発展させ長江文明を築いた人達には、父方のY染色体にO2aとO2b型をもっているという。日本人には本土への渡来系遺伝子としてO2bを多く持ち、江南系から渡来人してきた中に苗族も含まれていた可能性もある。

O系統の発祥の地として、東アジア南部が想定され、後に3つの系統に分かれた。
一つめは台湾、フィリピン、ジャワ方面へ移動したO1系統。
二つめは、揚子江中下流域付近に北上し長江文明を築いたO2系統。
ここからさらに、ふたつの系統にわかれたのがO2aとO2b。
O2aは東南アジアへ南下、O2bは北上し、朝鮮半島、そして日本列島にやってきたとみられるO2b系統になる。
三つめは、黄河上流域付近まで北上したO3系統。
発祥地は、華南・東南アジアが有力で、早い時期に南から北へ移動したと考えられ、5000年前ほどから漢民族・中原勢力の膨張とともに、黄河上流域から今度は北から南へ移動したもの。
O2aやO3は日本人には珍しいという。

日本には弥生時代に到来したグループ
天照族はO2bだろう。

参考

日本古代史つれづれブログ 日本人は、どこからやってきたのか?(7) ~ 男性系統の移動ルート③(O系統)
邪馬台国をはじめとした日本古代史の謎を、神話・史書・遺跡・各地伝承などから、科学的かつ体系的に解き明かしていきます。

九州に渡来して縄文人と同居し弥生時代を開始し、紀元前400年ころから吉野ヶ里に入植した人々はミャオ族の祖先でした!
彼らは日本に稲作をもたらしました!彼らは魚、獣何でも蛋白源にしてお米を食べる。自給自足の稲作弥生人でした。和服の原点、呉服は彼らの衣装でした!
彼らは、山陰地方に渡来するヤマト政権につながる斉系弥生人の祖先チャン族(Y-DNA遺伝子D2系)と生存をかけて争った歴史を持つ、Y-DNA遺伝子O2bを持った民と確信している(参考)。また、呉越同舟で知られたライバルの越人(O2a)は現在のベトナム人と考えられているが、一部、日本列島に渡来し、越の国(福井県から新潟県あたり)に定住したと推定した(参考)。

ミャオ族の祖先が日本の弥生時代を始めた!

長江文明を築いた人々の父方Y染色体にはO2a及びO2bが含まれている。そのうちO2bだけが日本人に見つかる。ミャオ・ヤオ・チワン族などの少数民族のO系統はO2a及びO3で、日本人はこれを持つ人はわずかしか見つかっていない(O2a東京=1)。ゆえに前章で検証したミャオ=楚人が倭人であった可能性よりも、BC470年からBC330年頃にかけて華北から黄河文明が波及し、つぎつぎに滅亡してゆく呉越(呉滅亡はBC473年、越国はBC334年頃)人=もともと越南人形質のO2aとO2bを持つ人々が南北へ分離し、北上したO2bだけが、朝鮮半島あるいは華北東部海岸=会稽東冶(かいけいとうや)から日本の北部、西部九州に上陸したと考えられる。

歴史的には呉越人が朝鮮半島に難民が流入することは鳥越憲三郎や諏訪春雄が指摘しており、伝説では始皇帝の道師だった徐福の蓬莱出航より少し前でほとんど同時代で、あるいはこの話が始皇帝に敗れた呉越人の出国を表した可能性が感じられる。ミャオは長江文明の影響を受けて日本人とよく似た稲作文化を持つこととなったと考えられる。日本人との文化様式の類似は表面上のものである。

朝鮮民族の51%を締めることから、O2bはあきらかに朝鮮半島経由でやってくるはずである。呉越人が朝鮮半島に入り、そこから九州に来たか、あるいは華北東部海岸部から直接、西九州長崎あたりに上陸した。日本最古の陸稲稲作遺跡である菜畑が長崎県にあることを考え合わせれば、長江の水耕稲作も西九州が最初だった可能性は捨てがたい。このようにO2b形質を持つ長江人はベトナム人と日本人に別れた(参考)。

③ 北九州には既に縄文人(Y-DNA遺伝子D2)がおり、仲良く暮らした考古学的実証(玄界灘文化圏)がある。また、後を追うように斉系弥生人(Y-DNA遺伝子D2)が隣りの山口県下関市の土井ヶ浜(響灘文化圏)に渡来することになる(参考)。

ミャオ族の祖先が日本の弥生時代を始めた!

O2b (F742)中国(上海、江蘇省、浙江省、安徽省、江西省、湖南省、山東省、河北省、北京、天津、チベット自治区、新疆ウイグル自治区、黒竜江省、図には記載ないが福建省、広西省、遼寧省)、韓国、日本、ベトナム、ラオス、タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン。瑤族3.3%、漢民族2%、回族1%、図に記載ないが白族0.5%、日本においては 36/2390=1.51%の割合で観測された。長江中・下流地域が原郷で長江文明との関わりが指摘されている。

参考:https://9215.teacup.com/toraijin134/bbs/7

宗教

ミャオ族の多くはすべてのものに霊魂や生命が宿ると信じ、樹、岩、山、川、泉などを崇拝する。祖霊や祖先の祭祀を怠らない。毎年旧暦10月頃の卯日や辰日を年越しの日の苗年(ノンニャン)として祖先に感謝する祭りを行う。男性は蘆笙(キー)を吹き、女性は華麗な銀飾りと豪華な刺繍の衣装をきて舞う。この時は、男女の自由恋愛の機会でもあり、ユーファンと呼ばれる歌掛けで感情を表現した。貴州省の黔東南の香炉山で旧暦6月19日に行われるチーピエ(山に登る)の祭りは有名で、沢山の若い男女が「歌垣」に集まる。また、黔東南では、13年に一度の大きな祖先祭祀であるノン・ニュウを父系氏族 (clan) が合同して行い、大量の水牛や豚を供犠して祖先を祀る。ノンとは「食べる」、ニュウは「鼓」の意味で、祖先の霊魂が宿るとされる楓香樹から作った木鼓をたたいて、祖先の霊を呼び戻して交流する。銅鼓を使用することもある。黔東南のミャオ族の間では、楓香樹から生まれた蝶々のメイパンメイリュウが、樹下の水泡と恋愛して12の卵を生み、そのうちの一つから人間が生まれ、他の卵から生まれた龍や水牛と兄弟であるという創世神話が語られている。その後、人類は天上の雷神と争い、大洪水を起こされ、瓢箪に乗って兄と妹が生き延びる。兄と妹が結婚して(兄妹始祖神話)、その子孫が現在のミャオ族になったという。ノンニュウは神話にちなんで、蝶々や兄妹始祖、祖先や死者の霊を祀り、再び東方にあるとされる究極の故郷に送り返す祭りである。

食文化

多くの場合、米を主食とし、野菜、肉類、魚などをトウガラシ、塩、酢などで味付けした副食と共に、1日3食食べる。独自の料理は「酸湯」であろう。漢族の料理に似た炒め物や蒸し物、魚の唐揚げなどの揚げ物もある。年中行事の祭りの日や結婚式などお祝いの日には、もち米で餅を作る習慣があり、草木汁で五色に色つけして食べる所もある。酒で客人をもてなし、即興の歌をうたって接待する。豆類も重要な食品で、納豆も食べる。日本のなれずしに似た発酵した鮨を食べ、祖先祭祀には必ず備える。蕎麦も作り、トウガラシと醤油の味付けで食べる。ミャオ族独自の正月の苗年には、もち米で作った餅と飯と酒に、豚料理を用意する。

日本との類似点

・身体的特徴が似てる。ミャオ族が持っているある遺伝子と同じものが日本の北九州を中心に見られる。
・食生活が似ている。
・ミャオ語と日本語は似ている
・ミャオ族の刀と日本の武士の刀は似ている

『ミャオ族の祖先が日本の弥生時代を始めた!』
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