伊豫神社(松前) ~愛比売に関わりのある神社2~

はじめに

愛媛の女神愛比売命(えひめのみこと)を祀る神社でよく知られているのが、
「椿さん」で知られる
伊豫豆比古命神社
ですが、他にも愛比売命を祀る神社は数社あります。

その一つが現在の伊予市にある「伊豫神社(いよじんじゃ)」です。
しかし、伊豫神社はなぜか2つあるのです。

今回はその一つ松前町にある伊豫神社についての記事です。

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伊豫神社の所在地 松前町について

伊豫神社のある松前(まさき)町は、松山市の南にある近郊都市です。

戦国武将で豊臣(羽柴)秀吉の七本槍の一人加藤嘉明(かとうよしあき)がこの地にあった正木城を居城(1595~1601年)としていた地域です。

後に、現在の松山城に居城を移し後に松前となりました。

移転後は、後に衰えベッドタウンとなっていきます。
昭和になると、東レ工場の誘致で炭素繊維で世界一の町となりました、
名前が北海道の松前郡松前町(まつまえちょう)と漢字が同じことから姉妹都市を提携しています。中近年は中四国最大規模のショッピングモールができて勢いを取り戻しています。

由緒・創建

伊予の国に古くより祭られてきた延喜式内名神大社です。

河野氏の系譜を記した『予章記』によれば、
7代孝霊天皇の皇子の彦狭島命(伊予皇子)がこの地の反乱を鎮圧後、
このまま神崎庄に鎮座し、
このことから当社を親王宮と呼ぶと記されています。

文治年間(1185~1190年)に伊予守源義経から崇敬され、その寄進により社殿が造営されたものの、その社殿が消失したといいます。
河野家の租にかかわる神社として河野各代の崇敬厚く、天正年(1573~1592年)には河野道直が社殿を改めて造営したと伝わっています。

また、別に平安時代の伊豫親王、藤原吉子桓武天皇夫人、藤原宗成の三柱が祭られており、当社との深い関係が伺われています。

神紋

角切に三文字

越智氏、河野氏によくみられる家紋です。

祭神

主祭神
彦狭島命(ひこさしまのみこと)  ・・・伊予皇子(7代孝霊天皇の第3皇子)

配神
愛比売命(えひめのみこと) ・・・記紀の国生みで登場する愛媛の女神
伊予津彦命(いよつひこのみこと) ・・・伊予豆比古命神社の祭神
伊予津姫命(いよつひめのみこと) ・・・伊予豆比古命神社の祭神
日本根子彦太瓊命         ・・・彦狭嶋命の父7代孝霊天皇
細姫命              ・・・彦狭嶋命の母
速後上命(はやのちあがりのみこと)・・・伊予国の国造

伊豫神社(松前)の 主祭神は、
彦狭嶋命(ひこさしまのみこと)です。
伊予豆比古神社の祭神は配神となっています。

彦狭嶋命は7代孝霊天皇の皇子で、伊予皇子とも呼ばれた人です。
河野氏の系譜を記した『予章記(よしょうき)』には伊予皇子の子小千御子(おちのみこ)が越智氏を称したとされています。

初代内閣総理大臣の伊藤博文
「伊藤公爵家系譜」
において三男の小千王子が祖先だと主張しています。

しかし、そうなると祖先は饒速日でなくなるのでは?
となるのでちょっといまいち理解できません。

越智氏族略系図
饒速日命──宇摩志麻治命──彦湯支命──出石心大臣──大矢口宿禰──大綜杵命──伊香色雄命──大新川命──大小千連──乎致命〔越智氏族之祖〕──天狭介──粟鹿──三並──熊武──伊但島──喜多守──高縄〔現大濱八幡大神社創建者〕

一説には、51代平城天皇の時代にあたる伊予の国司に任ぜられた伊予親王とも云われています。
伊予親王は桓武天皇の第三皇子で、奈良~平安時代に存命した人です。
伊予親王の変で、この地に流罪になり藤原吉子・伊予親王母子が処罰され2人は自殺するも、後に無罪であったことが判明した悲運の人物です。

速後上命(はやのちあがりのみこと)は、神武天皇の子である神八井耳命(かんやいみみのみこと)の子孫とされ、13代成務天皇の時代に伊予国造に任命された人物です。


愛比売命(えひめのみこと)
伊予津彦命(いよつひこのみこと)
伊予津姫命(いよつひめのみこと)
は、いずれも伊豫豆比古命神社の祭神です。
伊豫豆比古命神社では久米氏の伊予主命がいましたがここにはいません。

伊予神社のあるこの一帯は「伊余国」、
伊豫豆比古命神社のある伊予主命が管轄していた地域は、
東の久味国(久米あたり)だからでしょうか。

摂社

猿田比古神社、厳島神社、竃神社、稲荷神社(境外社)

鎌倉時代の作とみられる3基の五輪塔が置かれており、
ここから宋代とされる磁器壷2個、青銅経筒6個などが出土しています。

参考サイト

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