伊豫豆比古命神社(椿神社) ~愛比売に関わる神社~

はじめに

愛媛の県名の由来となった記紀に登場する女神の「愛比売(えひめ)」。
愛比売を祀る神社は愛媛県内に数社あります。
その中でも最も知られているのが松山市内に鎮座する
伊豫豆比古命神社(いよずひこのみことじんじゃ)」
です。

伊豫豆比古命神社は地元では「椿神社」、「お椿さん」の通称で呼ばれている神社。
毎年2月(、旧暦の1月7・8・9日に開催される)には「椿まつり」があり、毎年約50万人の参詣者でにぎわい中四国随一と呼ばれる規模と賑やかさを誇ります。

しかし、この神社は
なぜ、こんなににぎわうのか?
お椿さんって何の神さま?
と知る人はあまりいないかもしれません。

「椿神社」は知っていても、「伊豫豆比古命神社」といっても分からない人多いと思います。
(地元民でも読めない人多いとおもいます。舌かみそうで覚えにくい。)

私が高校の頃、通学途中にあった神社で、帰りにはこの神社の前にあった自販機でジュースを買って友達と長話していた休憩スポットでした。

そのとき、ふと
「この神社って何で有名なんだろう」
と疑問に思ったことがあります。
何度も近くを通っているのに伊豫豆比古命神社の名前は知りませんでした。
本当に不思議な神社です。

この神社に「愛比売」が祀られていることを知ったのは、記紀を読み始めてからでした。
なんだ、県名の神様がいるのか!と・・。

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祭神

伊豫豆比古命(いよずひこのみこと)
伊豫豆比売命(いよずひめのみこと)
伊与主命(いよぬしのみこと)
愛比売命(えひめのみこと)

伊豫豆比古命は男神、伊豫豆比売命は女神の夫婦神。
伊与主命は初代の久味国造(久米氏)のこと。
愛比売命は伊与主命の妻に相当するものと考えられます。
赤い鳥居があるので、女神の神社かとおもいきや、女神の御神体は実は理由があって別の神社にあります。
夫婦神社であるのに、今は別居状態・・。


伊豫豆比古命と伊与主命が同一説、伊豫豆比古命が祖神、伊与主命が後継者との説、伊与主の意は最古の道後温泉が勢力範囲に入るので湯の主との説など諸説あります。

伊与主命(久味国造)は久味国(現・愛媛県松山市、東温市、久万高原周辺)を支配したとされ、10代応神天皇の時代、神産巣日神(かみむすびのみこと、神祝命)の13世孫である伊與主命(いよぬしのみこと、伊与主命)を国造に定めたことに始まるとされています。
久米氏を本姓とし、ニニギの天孫降臨のとき、大伴氏の祖天忍日命(あめのおしひのみこと)とともに先導した大来目命(おおくめのみこと)が祖神となります。(つまり天津神)
三十六歌仙として有名な山部赤人は久味国造の後裔であるといいます。
物部氏と肩を並べた大伴氏は佐伯氏(さえき)、久米氏と共に皇族の親衛隊のような役割を担っていたようで、神武東征のときは饒速日命(物部氏)とは敵対関係にありました。

古墳時代は物部氏と大伴氏が大連(おおむらじ)として軍事を担当し権力を握っていました。
・物部氏ー饒速日を祖とする軍事担当。
・大伴氏ー皇神に従った軍事担当(近衛兵)。久米氏、佐伯氏はその配下部族
後に大伴氏は物部氏によって失脚させられ、物部氏は蘇我氏によって失脚(丁未の乱)させられていきます。また、乙巳の変で蘇我氏は中臣氏(藤原氏)に滅ぼされ以後藤原氏が強力な実権を握っていきます。
つまり、古墳時代の伊予は、東予(今治当たり)は物部氏系(越智氏)、中予(松山あたり)は大伴氏系(久米氏系)の管轄だったということですね。
ちなみに、伊予国は今現在は愛知県と間違われるほど存在感がないですが‥。
大和政権から鎌倉時代まで歴代の国司には錚々たる名前が並んでおり、重要な位置づけにあったようです。
そのうちの一人源平合戦で活躍した源義経伊予守(国司では平安期最高位)を給わってますし。
なぜ、重要だったかはよくわかりません・・。

創建

7代孝霊天皇の御代に鎮座(紀元前300年くらい?)
大化元年(645)社殿を造営

社伝では、7代孝霊天皇の時代に鎮座したとされ、2300年以上の有史以前(弥生時代)の長い歴史をもちます。この時代はインドでは釈迦が仏教を開き、中国では春夏戦国時代で江南から渡来人が渡ってきていた古い時代。

現在所在している場所の周囲は海で、海(津)の脇(わき)から「つわき神社」と呼ばれていたのが時を経て「つばき神社」に変化したといいます。

この神社の起源では、
伊豫豆比古命・伊豫豆比売命の二柱の神様が、舟山という現在も境内にある岩に御舟を寄せ、潮鳴栲綱翁神(しおなるたぐつなのおきなのかみ)が纜(ともづな)を繋いでお迎えした。』
とされています。
拝殿の前、大きな岩のあるところには潮鳴栲綱翁神を祀っている「奏者社(そうじゃしゃ)」が鎮座しています。
この潮鳴栲綱翁神が、先住民でこの言い伝えは、この地の権力者の交代を暗示しているようです。

椿隠者は三角州の松山平野の内部にありますが、本当にここまで海だったのか>と驚くかもしれません。
2300年前は弥生時代。
神武東征も弥生時代の頃で、奈良盆地に入ろうとしたときに神武天皇はナガスネヒコに侵略を阻まれていました。それというのも、この時期は海面が高く奈良盆地は湖だったために奈良盆地への侵略が困難だったため迂回し、背後の宇陀方面から攻略したのではないかという説もあります。

また、飛鳥村にある亀石伝説も、奈良盆地が湖だった証拠の一つになります。
現在と当時の地形はかなり違っていたようです。


伝説によると、奈良盆地一帯が湖であった頃、対岸の当麻のヘビと川原のナマズの争いの結果前者が勝ち、水を吸い取られた結果、干上がってしまい、湖のカメはみんな死んでしまった。これを哀れに思った村人たちは、「亀石」を造って供養をしたという。

神紋

御神紋は、皇室と同じ「十六弁八重表菊」です。

摂社

勝軍八幡神社・御倉神社・金刀比羅神社・白山神社
姫宮神社・若宮八幡神社・一之宮神社・素鵞神社・三島神社・八幡若宮社

奏者社(そうじゃしゃ)

祭神:潮鳴栲綱翁神(しおなるたぐつなのおきなのかみ)
伊豫豆比古命と伊豫豆比売命が舟山に舟を寄せた際、潮鳴栲綱翁神が纜(ともづな)を繋いでお迎えした古事により、万事取り次ぎを頂ける神として信仰されています。
伊豫豆比古命神社を参拝する際は、まず奏者社を参拝をするのが正式な参拝順です。

勝軍八幡神社(かちいくさはちまんじんじゃ)

祭神:応神天皇・天照大御神
蒙古襲来の際、河野氏が戦勝を祈念し宇佐八幡宮から祭神を勧進した必勝祈願の神社。
通称「勝軍さん(しょうぐんさん)」として必勝祈願・合格祈願・学業成就として信仰されています。

御倉神社(みくらじんじゃ)

祭神:宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)
いわゆる稲荷社です。うかのみたまのウカは穀物、受け皿。
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、御倉神(みくらのかみ)とも書きます。
大国主神(大物主神)と同じ国津神であり農耕神ですが、こちらは土壌を開拓し稲を育てる意味合いの農耕神であるのに対し、うかのみたま(=大宣比売=豊受大神)は食物を貯蔵する意味があるようです。そのため「御倉」というのでしょう。

児守神社(こもりじんじゃ)

祭神:天之水分命・木花開耶姫命(このはなさくやひめ)
木花開耶姫命は、皇族の祖神で天孫降臨した邇邇芸命(ににぎのみこと)の妃です。
安産・母乳・こどもの健康・子育て・子授りの神として信仰されています。
初宮参りの後、夫婦で参拝して出産のお礼と子供の成長を祈ってよだれ掛けを奉納する習慣があります。

参考リンク

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真理の島 四国(愛媛、香川、徳島、高知)

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