旅行記15 奈良 柳生の里探訪

大阪で面談

スカウトがあったのは、農業資材関係の会社からだった。
しかし、半導体系で働いていた私がなぜ農業系?と不思議に感じながらも農業系にいってみたいと思っていたので一応OKの返事をだした。
勤務先は、香川。生まれ故郷の善通寺近くだった。

最初は人事の人と面談をするというので、本社のある大阪のビルへと向かった。
面談官は2人。
なぜか、向こうから誘っておいて「この会社に来たい熱意をきかせてほしい」と言われた。
いや、逆になぜ誘ったの?と言いたかったのだが、とにかく自然が好きで自然を相手にしたくなったからからーみたいなことを適当にいっておいた。
本当に採用したい人は地元の愛媛にいるということで、愛媛にいってくれと面接日と行く場所を言い渡された。

面接日まで時間があったので、柳生の里へ。

奈良 柳生の里

奈良駅前でバスに柳生行きにバスに乗り換え。
どんどん山道へと入っていく。
「柳生」で降りるつもりが間違えて手前の「大柳生」で降りてしまった。
しかたないから、徒歩で柳生の里まで歩く。

秋も深まってきた時期。少し寂し気な小川が流れる。

このあたりは、白壁造りの民家が点々としていて昭和のレトロ感を感じる。

小学校の頃、柳生の田園風景を見て行ってみたいと感じた

山は紅葉し稲刈りの終わった田園風景。ぽつんと1本木が立っていて目がいってしまう。電線のない光景もめずらしい。

こんなところに「忍術学院」の看板が。。
ネットで調べると、国内唯一の忍術学校らしい。忍者と言えば伊賀上野のような・・。

人気も民家もない山の中をしばらく歩く。
本当に道があってるのかと心配していたところに「柳生の里」の看板があってほっとした。

柳生の里観光案内図

柳生の里に入ってすぐ目についたのが柳生の里のシンボル「十兵衛杉」。
柳生十兵衛が諸国行脚に出かけるときに植えたと伝わる杉。
昭和48年、2度の落雷で枯れてしまいこのような姿になったようだ。

ここから柳生の里が一望できる。
思ったよりこじんまりとしたところ。

観光スポットの一つ見事な石垣で一際目につくのが「旧柳生藩家老屋敷」。
柳生藩の財政再建を成し遂げた家老小山田主鈴の隠居宅で、奈良では唯一残る「武家屋敷」。
現在は資料館となっている。

柳生八坂神社の鳥居。

神社の近くにある小高い丘摩利支天山。八坂神社を創建した宗冬が武道の守り神である摩利支天をここに祀った。

石燈籠が並ぶ参道の向こうに社殿が建っている。奈良の春日大社の第四殿比売大社を祀っていたものを、1654年に柳生但馬守宗矩の息子宗冬が、スサノオノミコトの分霊を勧請して八坂神社とした。

1642年に藩祖・柳生宗矩が建てた柳生藩陣屋の跡地。現在は史跡公園となっていて紅葉がとてもきれい。

駐車場からこの石段を登って、「一刀石」という巨石がある天石立(あまのいわたて)神社に向かう。

静まり返った杉並木の山道を歩いていく・・・。

駐車場から1㎞ほど歩くと天石立(あまのいわたて)神社の鳥居に到着。
中々、人気のない山奥の神社の鳥居は不気味でワクワクする。
天狗でも出てきそう。

柳生の観光スポット「一刀岩」。
2011年当時ここに着た時は、だーれも来ないような寂しい場所だった。
しかし、現在は「鬼滅の刃」のモデルとして聖地となっているので観光客が増えているのかもしれない。

柳生石舟斎が天狗と試合をし、一刀のもとに切り捨てたと思ったが刀はその場にあった巨石を二つに割っていたという伝説の石。

おどろおどろしい祠。こういうのをみるのがたまらない。
白装束のばあちゃんいるとびっくりする。

このあたりは大きな岩がごろごろしていて、いくつかの岩はご神体となっている。

もののけ姫がでてきそうな山深さ。

夕暮れ時になってきたのでバス停に向かう。
1時間に1便。終電もはやいので乗り遅れるとやばい。

芳徳寺の麓にある一際目立つもみじ橋。この近くに柳生石舟斎の家があったという。ちょうど紅葉時期の名にふさわしい橋。

バスを待っていると、おばちゃんが「寒いからコーヒーでものんでいかん」と誘ってくれた。
親切だなー田舎の人は。

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真理の島 四国(愛媛、香川、徳島、高知)

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