旅行記19 福井 東尋坊、永平寺、一乗谷探訪

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あわら温泉へ一泊

面接結果が出るまでは気晴らし旅行に。
もう奈良もだいたい行ったので、少し遠出に1泊2日の福井観光へ。
以前、白山登山へ行く途中でみた「永平寺」と、「東尋坊」、「一乗谷」を巡ってみることにした。

大阪駅」からサンダーバードに乗って「福井駅」下車。
えちぜん芦原三国線で「あわら湯のまち駅」に降り福井屈指の温泉街「あわら温泉」で一泊。
ここは、1883年に農地の灌漑用井戸から湧き出たのが始まりとされ、周囲は田園風景が広がる落ち着いた雰囲気の温泉街で「関西の奥座敷」とも呼ばれている。
ここから、東尋坊と永平寺、加賀市、福井市が近くこの近辺を観光するならベストな宿泊地だ。

福井、石川、岐阜をまたぐ白山。
昔、関西ハイキングサークルに入ったときに白山へいくイベントがあって、そこが登山の山と知らずスニーカーのハイキング姿で参加してしまった思い出深い山。ネーミングで騙された。
白山は日本三霊山(白山、富士山、立山)にも数えられ、古代から崇敬の対象であった。福井の僧侶泰澄が、天空に現れた白山神のお告げを受けて717年(奈良時代)に開山。白山信仰の白山神社には白山比咩神(しらやまひめのかみ)・伊弉諾尊・伊弉冉尊が祀られる。

白山比咩神は菊理姫(キクリヒメ・ククリヒメ)と同一神とされる。
菊理姫は『日本書紀』の一書に一度だけ登場する女神で、黄泉平坂でイザナミとイザナミが口論していたところを、仲直りさせたため、縁結びの神(和合の神)として崇敬されている。「ククリ」=「括り」=「結ぶ」がこの神名の由来とも考えられている。(菊理姫は白蛇、白龍とも関係があると言われているのも、雪の白さと結ぶ=糸(三輪山伝説のように蛇のシンボル)からかもしれない。)
つまりククリ=キクリとなって菊とは和合の意味合いがあり、菊花紋の意味も不老長寿、夫婦和合等の信仰内容を象徴しているようだ。
(十六菊花紋=八(陽男神)八(陰女神))

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東尋坊

朝起きて、芦原温泉駅からバスに乗り東尋坊へ。
40分ほどでついた。

東尋坊は、1200-1300万年前に起こった火山活動によって、マグマが冷えて固まるときにできた安山岩の五 – 六角形の柱状の割れ目(柱状節理)が、日本海の波の浸食によってあらわれた岸壁。これほどの規模を持つ安山岩の柱状節理は世界で3か所のみで、国の天然記念物および名勝に指定されている。

「東尋坊」の名前は、乱暴で手に負えない東尋坊という僧侶をここに招き、酒に酔ったところを突き落としたことに由来する。また、青木ヶ原樹海と並び自殺の名所にもなっている。

ここは日本のシチリア半島のようだ。
ネスカフェの「ダバダ―」を口ずさみたく優雅な気分になる。

「ダバダ―」を作曲した人は、昔エロ番組の11PMの「シャバダバー」を作曲した人と同じらしい。
よく意味の分からないダバダーで優雅とエロを作曲できるのはすごいなー。
この音楽が流れた時間帯に家族がいると、優雅にあらず硬直なる静寂なひとときが流れていた。

https://youtu.be/_UIQIcr04hg

ちょっと足を踏み外すと海に転落。

ごつごつとした柱状節理岩場が点在する。

一本突出した目につく岩が蝋燭岩。
もうひとつライオン岩というのがあるものの、岸からはよくわからなかった。

柱状節理で囲まれた入江。
この下は降りられるようになっていて遊覧船乗り場がある。

柱状節理の表層部。
このあたりは腰をおろして海をのんびり眺めることができる。

帰りはバス停までしばらく歩く。
海岸線の松並木が綺麗。ダバダー

すると、見えてきたのが島にかかった赤い橋。
その島は「雄島(おしま)」という島。
別名「日本海の江の島」というようだ。
バスの時刻もあるので訪ねることは中止。

永平寺

東尋坊から丸岡城、永平寺へバスで直行。
1時間30分程度かかる。
バスを降り、坂道を登っていくと永平寺へ。

永平寺は1244年(鎌倉時代)道元によって創建された曹洞宗の総本山。
寺の名前「永平」の由来は、中国に仏教が伝来した元号「永平」からとっており「永久の和平」という意味がある。

境内配置図 1.山門、2.仏殿、3.法堂、4.僧堂、5.大庫院、6.浴室、7.東司、8.承陽殿、9.鐘楼堂、10.勅使門、11.祠堂殿、12.中雀門、13.傘松閣、14.吉祥閣(参考:ウィキより)

永平寺に到着。
木々が生い茂る中に大きな建造物がいくつも立ち並ぶいかにも威厳のある風格。

紅葉前の並木参道は緑に覆われて森林浴気分にもなれる。

唐門(からもん)

参道をまっすぐ行くと、参拝入口右手にみえる「唐門」。一般人は入れないものの、手前の大杉が岩をのみこんでいる撮影スポット。

拝観チケット(大人500円)を購入したらまずは「吉祥閣(きちじょうかく)」という研修道場へ。
そこから中に入って寺院内を見学できる。
永平寺は33万平方メートルの敷地に70を超えるお堂と楼閣が建っている。
なかでも「七堂伽藍(しちどうがらん)」という修行に欠かせない7つの建物が回廊で結ばれている。
法堂は七堂伽藍の最も高いところに位置しているお堂。ここから伽藍全景と四季折々の美しい景色が眺められる。

永平寺の修行は禅宗の中で最も厳しいと言われ、約160名の雲水(うんすい)と呼ばれる修行僧が修行生活を送っている。

承陽門

永平寺の横を流れる渓流
ここでしばらく森林浴。マイナスイオンで心地よい。
お坊さんはここで滝に打たれて修行してそうだ。

山門の四天王

雲水が正式に入門する時、修行を終えて永平寺を出る時にしか通ることが許されない山門の両側には仏教の守護神である四天王が祀られている。

報恩塔

永平寺の下で売っている焼き団子が大きくてうみゃい。
お昼は焼き団子むしゃむしゃ食べながらバスを待つ。

https://urala.jp/gourmet/shop/detail.php?id=10

北ノ庄城

バスに乗ってまずは福井駅へ。
バス乗り場の近くには、柴田勝家が居城としていた「北ノ庄城跡」があった。
あったのは、勝家像と天守閣模型、石垣くらい・・。
織田信長の安土城天守(7層)をしのぐ、9層の天守閣をもつ日本最大級の城だったようだ。
町の規模も安土の2倍あったという。信長も主君より規模の大きい城を造る許可を与えるなんて懐がおおきい。
賤ヶ岳の戦いで秀吉に負けた勝家は北ノ庄城に戻り、妻お市の方と共に自害。城も火が放たれて焼失してしまった。

一乗谷

福井駅を出た時は16時すぎ。
バスの運ちゃんから「え、今から一乗谷なんかいくの?」と驚かれた。
福井駅から一乗谷までバスで30分かかり着くと17時近く。
急いで見学。

一乗谷跡は、南北朝期(室町時代)に朝倉氏が一乗谷川沿いの谷間に構築した城郭と城下町跡。戦国時代に入ると、荒廃した京の公家、僧侶たちが避難しに移住してきたため華やかな文化が開いた。4代当主朝倉孝景の時に全盛期を築き「北ノ京」とも呼ばれた。
5代当主朝倉義景の時は、信長の侵攻により衰退。刀根坂の戦いの大敗後信長軍によって一乗谷は火にかけられ朝倉家は滅亡した。後に柴田勝家がこの地を支配し北ノ庄を拠点にすることになる。一乗谷はその後田畑の下に埋もれていったが、1967年に発掘が開始されて注目されるようになった。

朝倉館跡

第5代当主朝倉義景が住んだと伝えられている館跡。
三方が土塁と堀で囲まれ、中には会所、主殿、小座敷、台所などが整然と配置され、敷地内には日本最古とされる花壇も含まれている。

朝倉氏庭園ー湯殿跡庭園

「一乗谷朝倉氏庭園」は「朝倉館跡庭園」「湯殿跡庭園」「諏訪館跡庭園」「南陽寺跡庭園」とあり、中でも「湯殿跡庭園」は室町時代中期、朝倉孝景の時代に築庭されたと推測されている一乗谷で最も古い庭園。この庭園は、「立石」という屹立した石が多く使われている珍しい造りなのだそうだ。芸術家・岡本太郎も感動したらしい。
私にはただの石ころが転がってるようにしかみえなかった。

城下町

城下町は京都のように南北に渡り約1.7キロメートルの谷間に計画的に町割がなされ整然としたようだ。現在は200mに渡って復元され、戦国時代の町の雰囲気が味わえる。

もう、とっぷり日が暮れかかってきた。

焚火の煙がたなびく夕暮れ。
なんか懐かしい風景。

帰りは電車で。駅の周囲はほんと照明もない田んぼしかなく、トトロバスを待っている気分だった。真っ暗な中くる電車はまさにトトロバス。
家に着いたのは22時過ぎていた。
ちかれた。

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