弥生期からの神々 海神族(綿津見命、住吉大神、宗像大神)

縄文の神

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紀元前1000~(弥生時代 水稲の始まり)

紀元前  
1020    『論衡』倭人来りて暢草を献ず。
900~700 『魏略』 倭人・呉は太伯の後裔である。 弥生文明の萌芽。 江南系海人が拓く。
660 ーーーーーーーーーーー神武天皇即位(ここ以前?)----------
496     越王匂践立つ。 呉王に夫差立つ。 呉越の戦いは水軍の戦い。
494     越 屈辱的降伏をする。 越 wo(ヲ)  倭 wo
473     夫差自殺 呉滅びる 越や呉(wu)の難民、列島へ流れ来る。
334     越 楚に滅ぼされる。
221     秦始皇帝 中国を統一 秦に圧迫された民が半島・列島へ来る。
219     徐福を東海に派遣 史実である。列島各地に伝承が残る。
202     漢高祖皇帝となる。漢、燕を支配する。 秦の民、半島へ。列島へ。
111     漢武帝。南越を征する。越の民、黒潮にのって九州に渡来。
57年?   新羅国建国   (諸説あり)
42年?   金官伽耶建国
前37年?  高句麗国建国
前18年?  百済国建国
前97年崇神天皇即位
57年    漢倭奴国王の金印(「後漢書」東夷伝)
西暦200年代 古墳時代前期に入る。

弥生時代3つの海人族(かいじんぞく)

縄文時代は山の神大山祇神、アラハバキが主要親族であったが、弥生期から海人族が日本に到来し航海、漁労など海上面で活動し弥生時代前期の主力族となっていく。
海人族は主に、筑前・肥前(北九州)沿岸地域に居住し水稲耕作を行い青銅器を使用した。
海人族はどこからきたか明確になっておらず、朝鮮南部海岸系、インド・チャイニーズ系、インドネシア系の3系統の見方がある。

3つの海神(北九州を拠点)
綿津見命(綿津見三神)・・底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神
住吉大神(住吉三神) ・・底筒之男神・中筒之男神・上筒之男神
宗像大神(宗像三女神)・・田心姫、多岐津姫、市杵島姫神
※綿津見命と住吉大神はともに伊邪那岐の禊の中で生まれた。
宗像大神は、天照大神と素戔嗚の誓約で生まれた。

図参考:あなにやしさんのHP

志賀島神社・・綿津見命を祀る神社
住吉神社・・住吉大神を祀る神社
宗像大社・・辺津宮(多岐津姫)、中津宮(市杵島姫)、沖津宮(田心姫)
     を祀る神社

海人族は北九州を中心に活動していた。

海人族に属すと考えられる氏族。
安曇氏和邇氏尾張氏三輪君系賀茂氏諏訪氏守矢氏宗像氏上毛野氏下毛野氏など)
海部氏、津守氏

綿津見命(綿津見三神)・・・海を支配する神

縄文の西を支配した大山祇神命/大山津見命(オオヤマツミ)が山の神であることに対する海の神。
伊邪那岐が黄泉から帰って禊(みそぎ)をしたとき、、ソコツワタツミ(底津綿津見神、底津少童命)、ナカツワタツミ(中津綿津見神、中津少童命)、ウワツワタツミ(上津綿津見神、表津少童命)の三神が生まれ、この三神を総称して綿津見三神と呼んでいる。
「ワタ」は海「ツ」は「の」「ミ」は「神霊」の意であるので「海の神霊」という意味になる。
(別名:綿津見大神、海神豊玉彦、少童命、海神、和多都美神、和多津見神、綿摘神、海童、大海津見神、大海津美神等)

子には宇都志日金析命(穂高見命 安曇氏の祖)、布留多摩命(振魂命 尾張氏の祖)、豊玉毘売命玉依毘売命の四兄妹がいる。

総本社は安曇氏ゆかりの志賀島にある志賀海神社。「海神の総本社」「龍の都」と称えられる。(祭神 底津・仲津・表津綿津見神、安曇磯良神、豊玉彦神、豊玉姫神、玉依姫神、穂高見神。)

【公式】志賀海神社ホームページ
志賀海神社は福岡市東区志賀島に鎮座する綿津見三神(わたつみさんしん)をお祀りする神社です。「海の守護神」「禊祓の神」「再生回帰の神」として古来より篤く信仰されています。このサイトでは志賀海神社の御由緒や祭事、境内案内や参拝の決まり事などにつ...

宇都志日金析命(うつしひかなさくのみこと)・・・安曇氏の祖

安曇氏は海神である綿津見命を祖とする代表氏族。
本拠地は北九州の志賀島一帯(金印(漢委奴国王)の出土地)とする、遠く中国まで交易をし、海部(あまべ)を支配して勢力を誇った大和朝廷以前の有力豪族だった。
志賀島には、イザナギが禊をしたとの伝承も伝わっており、強い関連性が推測できる

日本海側から本州太平洋側に向けて進出し、黒潮文化圏とオホーツク文化圏を繋いだ。
安曇氏は信州にも進出したとされ、海岸沿い以外にも全国に安曇ゆかりの地名がある。信濃安曇族の本拠地は福岡県に古代糟屋郡阿曇郷。その限界灘沿岸から、日本海を舟で通るルート、瀬戸内海を渡り、琵琶湖に至るルート、また太平洋側を回るルートの三コースが考えられるらしい。安曇磯良神は人面蛇神であり、海底にいて一錘十日という具合だったので、顔に牡蠣が付着していたとされ、磯にいたので磯良という。磯武良、磯良丸、磯良エビスとも言う。

図:安曇族さんより

「信濃安曇族の謎を追う」より

なぜ、移動したのか?
北九州の安曇族がなぜ全国に散らばったのか、ナゾである。
一説によれば、磐井の乱(527~528年)が原因という。
この乱は、北九州の豪族筑紫君磐井(つくしのきみ いわい)と大和朝廷との争いだが、その結果安曇氏は敗者側の磐井に与したため本拠地を失い、信州をはじめ、各地に移住することになったらしい。移住先の一つ、長野県の安曇野は松本市や大町市周辺の地域である。有名な黒部第4ダム(こちらは岐阜県だが)も近い。北九州を離れて新潟県糸魚川市付近にたどり着いた安曇族は、そこを流れる姫川を遡っていったという。では、なぜ安曇族はこの地を移住先として選んだのかといえば、海洋族として交易に必要な翡翠(ヒスイ)を求めて、という説がある。翡翠は日本古来の宝石であり、国内の産地は限られている。確かに姫川流域国内でも有数の産地ではあるが、これも一つの仮説にすぎない。

参考:安曇族

布留多摩命(ふるたまのみこと)・・尾張氏、倭国造の祖

尾張氏
ヤマト政権との関わりが古く、天武天皇13年(684年)に宿禰を賜った氏族。当時尾張国(愛知県)と呼ばれた地域を支配。多くの后妃を輩出し、全国の国造家の中でも屈指の勢力を誇った。尾張の代表的神社で国造奉斎社である熱田神宮は、三種の神器の一つ・草薙剣(天叢雲剣)を祀っていることで有名である。

倭国造
後世の大倭国(大和国)中央部にあたる領域を支配した国造。
遠祖・椎根津彦は宇豆毘古(うずびこ)とも呼ばれる。

豊玉毘売命(トヨタマビメ)・・山幸彦の妻 

竜宮に住むとされる。真の姿は八尋の大和邇(やひろのおおわに)であり、異類婚姻譚の典型として知られる。瓊瓊杵尊と木花開耶姫(薩摩)の子火遠理命(ホオリ・山幸彦)は豊玉毘売命と結婚し、神武天皇の父鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあわせずのみこと)を産んでいる。豊玉姫は鵜鵜草葺不合尊を生む際に鰐の姿に。

玉依毘売命(タマヨリビメ)

豊玉毘売の妹であり、鸕鶿草葺不合尊の妃で、神武天皇を産む。
宮浦神社(宮崎県日南市)は玉依姫の住居跡といわれ、玉依姫の陵墓であると伝えられる場所がある。龍口明神社では龍神を束ねる海神族の祖先とされ、また姫自身も龍神として崇められている。

住吉大神(住吉三神)・・・航海を守護する航海神

伊邪那岐が黄泉から帰って禊(みそぎ)をしたとき、綿津見三神とともに生まれた、底筒之男神(そこつつのおのかみ)・中筒之男神(なかつつのおのかみ)・上筒之男神(うわつつのおのかみ)の3神の総称。住吉大神ともいうが、この場合は、この場合は住吉大社にともに祀られている息長帯姫命(神功皇后)を含めることがある。三筒男神と書くことから男神で綿津見三神は対の女神といえる。

住吉大神が記紀に登場することで有名な場面は、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の時代。
熊襲、隼人といった大和朝廷に反抗する部族が蜂起したとき神功皇后が神がかりし、
「貧しい熊襲の地よりも、金銀財宝に満ちた新羅を征討せよ。我ら三神を祀れば新羅も熊襲も平伏する」との神託を得た、しかし、仲哀天皇はこの神託に対して疑問を口にしたため、祟り殺されてしまった。その跡を継いだ仲哀天皇の后、神功皇后(じんぐうこうごう)は、同様の神託を受けて新羅へ出兵した。住吉三神は海路を守護して神功皇后の一行を無事に現地へ渡し、戦わずして新羅、高麗、百済の三韓を従わせたという。これに感謝した神功皇后は、摂津国(せっつのくに)※現在の大阪府の住吉に社を創建したと伝わる。

「住吉」は、元は「すみのえ」(墨江)と読んだ。住吉三神を祀る神社は住吉神社などという社名で、日本全国に約600社ある。海上交通の要衝・大阪に鎮座して航海を守護する航海神。
住吉神の末裔と言う氏族はいないようで、住吉神社の祭祀に当たった氏族はバラバラ。
筑前は佐伯氏、長門は穴門氏、摂津は津守氏となっている。「三大住吉」は一般にはそれぞれ福岡の住吉神社、下関の住吉神社、大阪の住吉大社を指す。

住吉大社
摂津国一之宮、いのちの根源、海の神、住吉大社の公式ウェブサイト。 住吉大社は、全国の住吉神社の総本社であり、日本を代表する神社の一つです。大阪をはじめ地域の方々からは親しみをこめて「すみよっさん」と呼ばれ、世界中からたくさんの参拝者が訪れま...

宗像大神(宗像三女神)・・・海上・交通安全の女神

天照大神と素戔嗚が誓約(うけい)によって誕生したのが「宗像三女神宗像大神」。
宗像三女神は、田心姫(たごりひめ)、多岐津姫(たぎつひめ)、市杵島姫神(いちきしまひめ))を指し、「海北道中(宗像より朝鮮半島に通じる道)」に降臨した。
宗像大神には、天照大神、大国主命がもつ最高の道の神という意味を持つ「道主貴(みちぬしのむち)」の別称がある。

宗像氏の出自は大国主神の六世孫、あるいは三女神の七世孫の吾田片隅命(あたかたすみのみこと)に始まると伝わる。(コノハナサクヤ姫の別名(豊吾田津媛命)で吾田で薩摩(鹿児島)に関わる言葉。)
筑前国宗像郡を本拠とし、沖の宮(沖ノ島)、中津宮(大島)、辺津宮(宗像郡)の三座。三女神を祭り、この三女神は宇佐神宮の比売神として出現したとされている。645年、大化の改新によって、国郡制が敷かれ、宗像氏は宗像神郡の大領と宗像大社の神主を兼任し、神郡の行政を司った。

宗像大社は全国6200社の宗像社、厳島社の総本宮である。戦前の官幣大社。宗像大社辺津宮は福岡県宗像市田島の釣川の河口、神湊に鎮座している。古くから海上・交通安全の神として信仰され、現在ではあらゆる道、陸上・交通安全の神として信仰を集めている。

宗像大社 公式ホームページ
宗像大社は、日本神話に登場する日本最古の神社の一つです。御祭神は、天照大神の三女神で、沖津宮、中津宮、辺津宮にそれぞれ祀られ、この三宮を総称して、宗像大社といいます。

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真理の島 四国(愛媛、香川、徳島、高知)

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