愛媛(伊予)の豪族といえば、越智氏よりも河野氏のほうが知られているのではないかと思います。
河野氏といえば伊予水軍(河野水軍)。
信長の野望のゲームでも、最弱大名として登場し、すぐ滅んでしまう悲しい大名のイメージを抱いている人も多いのかもしれません。
地元民ながら河野氏は選択したことがありません・・。
一番好きなのが北条氏康です。
後北条家の家紋と、私の家の家紋がおなじ三ツ鱗紋(微妙に違いますが)ですし。
松山市の北は昔北条市と呼んでいたので、何か縁がある気もします~。
今回は、伊予河野氏について調べてみました。
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伊予河野氏の誕生
伊予河野氏は、国造越智氏の流れを汲む一族です。
天智天皇2年(663年)に起こった白村江の戦いの時、天智天皇とともに伊予水軍を率いて出陣したのが越智守興という人物でした。
守興と戦地の唐の武将の娘との間に生まれた子が玉守・玉澄兄弟とされ、文武天皇(697-707年)の代に玉澄が伊予国温泉郡(風早郡?)河野郷に住んで河野氏(かわの)を名乗ったのが「河野氏の始まり」と伝えられています。
941年に藤原純友の乱が起こり、河野好方が純友を九州の博多で滅ぼして天下に名を現わします。
以来河野氏は、伊予水軍の将として知られるようになりました。
その後、河野氏が歴史に現わしたのが、平安時代末期の河野通清(みちきよ)という人物です。
この時代は、平家、源氏が争っていた時期になります。
1180年、源頼朝が平氏打倒の兵を伊豆三島大社で挙げた時(治承・寿永の乱)に、道清も挙兵して平維盛の目代を討ち伊予を支配圏に置きました。
しかし、平家方も備後国の額入道西寂を討伐軍として派遣し、この戦いにより本拠の高縄城で壮絶な最期を遂げます。
このとき、子の道信は安芸(広島県三原市)に滞在しており命は無事でした。
西寂は兵を引き上げ、翌年備後国に戻って酒宴を開いて遊女と遊び戯れていたところ、死を覚悟した通信が武士百余人を率いて急襲。西寂を伊予国の高縄城へ連れて行き、鋸で首を斬ったとも磔にしたとも伝わります。
その後もゲリラ戦や水軍力を生かして、安芸国の沼田氏や豊後国の緒方惟栄・臼杵氏らと九州武士とも連携し攻略。
源氏の将・源義経に従って屋島の戦いに参戦、その後壇ノ浦の戦いに平家に反旗を翻した水軍・松浦(まつら)党と連携して平氏討伐の功を挙げ御家人の地位を確保します。
しかし、承久の乱に際して、後鳥羽上皇に与した通政と幕府方に属した通久との二家に分かれて争い、勝った幕府側の通久を除き、一族全ての所領を失いました。
その後、蒙古襲来の時、弘安四年(1281)弘安の役で、通久の孫の通有は水軍を率いて活躍しふたたび旧領を回復。このころには、河野氏から分かれた得能氏・土居氏など一族が伊予国内に蟠居し、村上・来島氏らと瀬戸内水軍の覇を競うことになります。
建武の争乱時には、宗家通朝は足利尊氏に属し、一族の得能氏・土居氏は新田義貞と行動を共にし、二派に分かれます。そして、尊氏に従った通盛は伊予守護に補人されるまでに河野氏の勢力を拡大。この通盛のときに、本城は松山平野の湯築城に移され、以後、戦国末期まで続く河野氏の本拠となりました。
河野清道について
平安時代末期の河野清道について調べていると蛇神と深い関係があることを知りました。
清道の出生話は「平家物語」「予章記」に記されています。
清道の父は、河野親清という人物です。(なぜか親清の父が河内源氏の2代棟梁で、源義家の父源頼義ともされています。)
清道の誕生については下記のように書かれています。
「河野通清の両親には永らく子供がなかった。十余年の結婚生活にも子供がなかった。そこで、子宝を授かりたいと妻が念じて渡島し、大三島明神の前に参篭。かくして、第六日目の夜半に、”長さ十六丈余りの大蛇、御枕下に寄り伏すと夢の中に思し召して、懐妊あり〃こうして生まれたのが通清であった。」
また、生まれた清道を
「御長八尺、御面ト両ノ脇トニ鱗ノ如ナル物アリ、小跼背溝無也」
と、顔と両脇に鱗があると書かれています。
つまり、母と神(大蛇)が交わり生まれた子が清道で、つまり蛇神の子ということになります。
このことから、彼は神に「通」じた息子とされ、以後の河野氏当主が代々「通」字を用いることになったと伝えられています。また、三島明神はこの先河野家は16代続くと予言していたようで、実際にその通りに続き、17代通宣からその力は衰退していきました。
で、ここで驚くべきこととは・・。
清道の誕生について、類似した話は、清道とともに戦った豊後国の緒方惟栄にもあります。
緒方三郎惟栄の始祖誕生を叙述する「緒方三郎惟栄始祖伝説」が存在します。
「それは美しい娘のもとに大蛇の化身である素性の知れない水色の狩衣を着た不思議な男が夜な夜な通いつめ、やがて娘は身ごもりその娘から英雄が誕生した」
というものです。
緒方三郎惟栄の始祖が、豊後大神氏の祖大神惟基(おおがこれもと)で、大分県祖母山大明神の神体である蛇との蛇神婚伝説で知られる人物です。
(ちなみに、私の祖先が大神惟基に繋がるようです。)
いや、まさか河野氏も蛇神とは驚きです。
このあたりは、桜井市の大神神社の大物主神の伝説に類似しています。
河野通清(蛇神)ー越智氏(ニギハヤヒ系)天津系
↕協力
緒方惟栄(蛇神)-大神惟基ー大神神社(三輪氏大物主神)地祇系
なぜか、饒速日系と三輪系は系統が違うのに不思議なところで連携する結びつくパターンが多いような気がします。河野氏が三ツ鱗紋を使用するのもここにあるのかもしれない。
ちなみに、私が高校のとき、1年から3年までずっと同じクラスメイトだったのが河野、越智という子でした。
人との縁も決められたものなんでしょうかね~🐍。
人間努力だけでなく、運命に翻弄されているほうの力が大きいと感じます。
流れに逆らおうとすると、逆に上手くいかないんでしょうか。
河野氏の本拠 高縄山
河野氏の風早群(旧北条市)は、松山市の北高縄山地を形成する高縄半島にあたる地域。
標高986mの高縄山の山頂付近に河野氏の居城があったとされており、現地には石碑と小さな祠が建立されています。
参考資料
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真理の島 四国(愛媛、香川、徳島、高知)
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