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泥沼の面接
アルミ工場への面接に川西市へ。
川西市は京都、大阪、兵庫の三つ巴の中心に位置する比較的都市部から離れた山並みに面した場所。
行ってみるとアルミのスクラップが山積みに積まれ、いかにも3Kの仕事場という感じだった。
(ここで意欲減退・・・)
面接官は専務と役員3人。
専務は若く私と同じ年齢。社長の息子で後継ぎ候補のようだった。
家柄だけでこうも扱い違うのかー。中小企業は後継ぎは世襲制が多いね。
役員はいかにも体育会系の現場あがりのおっちゃんという高齢者。
専務は大人しめな自分と似た紳士風な感じで、役員が色々質問してきた。
役員の一人が、私の実家と同じ場所(近所)出身という偶然で話しが盛り上がり
それでいい雰囲気の流れですすんだ。
面接テクニック、「相手を感動させる」感じで握りこぶしをして感情を込め、
少し語気をつよめリアクション多めに話す。
新型うつ上司あんぽんたん風。
役員の人
「身体も健康そうだしやっていけそうだの」
・・
(このときは外で歩いて焼けたしね。でも、メンタル不調。うつ病なんですといえば落ちるのは目にみえてていわんけど。)
うつ病なんて、カミングアウトしないとわからんしねー。
時間は1時間。
雰囲気的に、これは受かってしまったなと感じた。
終わったら、阪急電車に乗って梅田で元上司と落ち合った。
久しぶりに見た上司は、頭ハゲかかっていた。
「けっこうおでこきてますねー」
というとさすがキレられそう。
なんせ元上司とはいえ面接官だし。
おされなビール居酒屋でお酒飲みながら半分面接みたいに食事。
なんと、元上司は副社長なっていた。
さすが、ブラック企業の副社長らしい風格だ。
私が入社したときは思ったことずばずば口にするタイプで
「バカだな。もうやめちまえよ」
と何度いわれたことか。
話し方が人を見下すような感じなので、敵おおし。
(本人きにしない)
いつもこの上司がいる現場との会議だとピリピリしていやだったわ。
世の中わたっていくには、これくらいずぶとくないとなー。
上司がいなくなってから、職場の風通しよくなった。
一人いなくなっただけでこうも職場の雰囲気は変わるもんかと、
一人の偉大さを知ったものだった。
この人のせいだったのだ、仕事がやりにくかったのは。
でも、口は悪いがいろいろ指導してくれて面倒見はいい人だったので別に私は嫌いではなく、一緒に働いても辛いとは思わなかったけど。
会社の話になると
「給料はやすいぞ。おれでさえ400万くらいなんだからな。」
「夜中は10時まで働け。週休は1日だ」
「採用はするけど、採用日決まったら翌日から来いよ」
とかブラックぷりはんぱねー。💩
球状太陽電池を開発していた会社でライバル増加により競争が激化。
さらに震災不況もあったので職安の人から
「ベンチャー企業なので倒産リスク高い企業ですよ」
と言われていて、実際奴隷のように働かされていたようだ。
そして、最後に
「実は俺も転職しようと思っていてスカウトきてんだ。ちょうどお前がきてくれてよかったよ。こんな給料やすいとこなんかやってられるか。社長はばかだし。」
(え、あんた俺をいれて逃げるつもりやったんか!)
いや、この時点で行く気うせた。
やってることは面白そうだったんだけどね。
こんなとこはいったらつぶれてまう~。
この日は誕生日。
面接で手ごたえ感あったものの、モチベーションだだ下がりの疲れた1日だった。
リフレっすで奈良は大和郡山へ。
奈良 大和郡山
奈良県大和郡山市。
大和郡山市は奈良盆地北部に位置する。
「金魚の養殖地」、「明石家さんま」で名高い。
また、この地は大和郡山城を中心に「環濠集落」の姿を留めている。
環濠集落が形成され始めたのは戦国時代、筒井順慶がこの城に入ってから。
順慶死後は、羽柴秀長がこの地を治め、江戸時代は柳沢吉保で知られる柳沢家が明治まで統治した。
JR難波駅から大和路線に乗って「郡山駅」下車。
着いたのはお昼時だったので、近くの店でピザを食べる。(これがおいしかった)
街の中心紺屋町周辺は昔ながら環濠の街並み。
街の南へ向かいまずは、金魚の養殖地を目指す。
金魚の養殖場へ到着。
金魚などみるのは久しぶり。
子供の頃は祭りの時金魚すくいとかよくみかけたけど、最近みかけなくなったような気がするな。
救った金魚を水を入れた袋にいれて、家まで持ち帰り、金魚鉢に買ってきた金魚を入れる。
日本の風情やー。
金魚の養殖されているため池が広がるのどかな風景。
近くに羽柴(豊臣)秀長のお墓があった。
羽柴秀長は、秀吉の異父弟(実の弟とも)。
歴史ではあまり目立たないものの、秀吉の陰で副将や総大将を務めた右腕的存在だった。
四国長曾我部攻めでは総大将を務め、その功により大和一国を与えられ大和郡山を居城に統治した。
九州島津攻めでは先鋒となって、その功により大納言に叙任され「大和大納言」と呼ばれた。
江戸中期に整備されたという墓。
白壁の土塀に囲まれた中にある五輪塔。
大納言塚から北に向かうと「大和郡山城跡」がある。
戦国時代の大和は「大和四家」と呼ばれる筒井氏、越智氏、箸尾氏、十市氏、そして興福寺の勢力が強く守護職の存在しない国だった。畿内統一を目指す三好長慶の家臣、松永久秀が大和に侵攻したことで筒井氏と松永氏の対立が激しくなる。
筒井氏は郡山市にあった筒井城を拠点とし、後に筒井順慶が築城したのが大和郡山城。
松永久秀のもっていた多聞山城(奈良市内)と信貴山城(生駒)のほぼ中間に位置している。
後に久秀は信長によって滅ぼされ、筒井氏は秀吉政権の時、順慶死後伊賀上野に転封。
家康政権のときは筒井騒動で筒井氏は断家した。
郡山城は秀長によって大幅に拡張され江戸時代は郡山藩の居城となった。
天守閣のあった石垣。
城の中に鳥居が。。
向かうと天守台の南下に、柳沢藩の開祖・柳沢吉保を祀る柳沢神社が鎮座していた。
柳沢吉保は第5代将軍徳川綱吉の寵愛を受けて御側用人、大老格として幕政を主導した人物として有名。
柳沢氏は、河内源氏ー甲斐武田氏の流れをくむ一族らしい。
そのため殿の右手前に建つ社号標に「旧川越甲府城主柳澤美濃守吉保公」と書かれている。
天守跡の展望からは平城京大極殿・薬師寺・若草山(左のはげた部分)も眺められる。
若草山あたりが奈良市内。
明治維新後、多くの建物は破却されたが、近年、追手門・櫓・天守台などが修復・整備されている。
(下にある建物)
追手向櫓(復元)
追手向櫓と追手門
街並みにマッチしている郡山の火見櫓。
1680年の大規模な火災で町家670軒が焼失。その火災を教訓として1686年に城下町の防火のため建てられたという。
帰ろうと駅に向かっていると墓石がびっしり密集したお墓の山。
こんなの初めてみたので記念に撮った。
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真理の島 四国(愛媛、香川、徳島、高知)
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