はじめに
日本への渡来人が多かったとされる春秋戦国時代(あたりの中国江南(長江流域)。
呉越文化についてメモまとめ。調べてみると、日本文化の原点は江南がほとんどいうことがわかってきますねー。
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江南地方の文化
稲作、養蚕・機織り機、海女、魚介食、高床式住居、土師器、青銅器、シャーマン、アミニズム、女神崇拝
鳥・太陽・蛇崇拝
呉・越国のあった江南は、古くから稲作漁民が住んでいた地。
古代河姆渡文化のあった時代から、鳥と太陽崇拝信仰が行われており、周の時代は東夷(山東半島あたり)を「鳥夷」、越人を「鳥種」と呼ばれていたようです。
河姆渡遺跡の出土品の紋様で一番多いのが「鳥の図案」。
稲作と鳥は深い関係があるといいます。
渡り鳥の到来は、春の到来と耕作、種まきを始める時期を告げ、鳥が害虫を食べて稲を保護してくれるため、古代の人々は鳥を崇拝したのでしょう。
春秋戦国時代の越王勾践(こうせん)は
「首が長く、口が鳥のくちばしのよう」
と例えられ、越人の言葉は「鳥言葉」といわれていました。
勾践自身も自分の成功が
「丹鳥(鳳凰の別称)」
のおかげだと思い、「望鳥台」を建てています。
河姆渡遺跡から出土した河姆渡のシンボルとなっている彫刻品が「双鳥朝陽」と名付けられた象牙の彫刻品です。
中央部には5つの同心円の絵柄の太陽紋と周囲に燃え上がる火炎紋、その左右には今にも飛び立とうとする2羽の鳥が、縁には羽状の紋様が刻まれています。
この図案は、日本の八咫烏と類似した、
「太陽には三本足のカラスがいる」(金烏負日)という古代思想を表現しているようです。
古人は太陽の日の出、日没は二羽のカラスが運ぶのだと考えていたという。
双鳥朝陽
金烏負日
(これは成都のもの)
日本の八咫烏と同じ図柄
「湯谷上有扶木,一日方至,一日方出,皆載於烏」。古人尊崇上天,而鳥兒可以在天地間自由穿梭,被視為人與神明的媒介。而太陽的東升西落,也是因為有一隻「金烏」(赤烏)在背著太陽飛翔。所以金烏也被看作太陽的象徵。
(金鳥は太陽の象徴)
江南に住む苗族は森羅万象に命が宿るという独特のアミニズムの世界観があり、鳥、太陽、蛇を崇拝している民族です。集落の真ん中には、長い柱の上に太陽の昇る方向を向いた鳥が乗っている蘆笙柱(ロショウバシラ)という柱が立っています。
これは、神武東征のとき、神武軍が大和で長髄彦と戦っている際に、金鵄(きんし 金の鳶トビ)が天皇の弓に止まってその発光する光で長髄彦の軍兵たちをくらませ東征軍が勝利することができた構図に似ています。
蘆笙柱
金鵄
稲作・棚田・高床式倉庫
江南には日本の田園風景でもみられる棚田がみられます。
特に中雲南省の元陽棚田はユネスコの世界遺産に登録されるほどの美しさを誇っています。
河姆渡遺跡からは干欄式建築(高床式住居)が数多く発見されています。
海女(裸潜水漁撈方法)・魚介食
深い海の中に潜って貝やサザエなどを採る潜水漁は海女(あま)さんでおなじみの漁法。
倭人も潜水業をしていたことが「魏志倭人伝」に記載されています。
福建省の沿岸にある曇石山遺跡(紀元前5000年頃)から、潜水漁によって得られた岩礁性の貝が見つかっており、すでにこの時代から潜水漁がはじまっていたようです。
銅の生産技術
越では銅の生産技術が発達していたようです。
1965年に湖北省江陵県望山1号墓の銅剣「越王勾践剣」が出土しています。
この剣は、Sn(スズ)が含有された青銅で表面に硫化銅の被膜で覆われており、錆びていない状態で見つかっています。
剣には鳥蟲書(ちょうちゅうしょ)という書体で「越王勾践 自作用剣」と刻まれており、
越王勾践自身が作成して用いた剣だと刻字されています。
荘子外篇 刻意第十五には「干越(于越)の剣を持つものは、箱に入れて使うこともなく至宝とする。」とあり、剣が有名であったことが示されています。
鳥蟲書
鳥蟲書は春秋時代中期に初めて登場した書体(広義の篆書体)の一種で、呉・越・楚の長江流域3国で用いられていました。鳥はこの3国で神聖化された鳳凰を模したものとされ、線の屈曲は龍や蛇を霊獣として尊ぶ思想があるものと関連ずけられています。
入れ墨、断髪の風習
呉の祖太伯および、越の夏王朝第6代少康の庶子「無余」ともに、この地に来た時、この地の風習でもあった「文身(ぶんしん)断髪(刺青と短髪)した」と伝えられています。
文身は一般に皮膚に傷をつけて墨を入れる「刺青」と解釈されますが、傷が盛り上がって文様となるのが「分身」です。体に鱗を付けると、魚類や爬虫類の害を避けることができると考えられました。
「魏志倭人伝」には
「男子無大小皆黥面文身」(男子の大小無く皆黥面文身す)
「夏后少康之子封於會稽斷髪文身以避蛟龍之害」(夏后少康の子、会稽に封じらるに於いて断髪文身して以って蛟龍の害を避く)
「諸國文身各異或左或右或大或小尊卑有差」(諸国の文身は各々異なり、左と右、大と小、尊と卑の差有り)
と記されています。
この点から、日本にいた倭人とはまさに太伯、少康の後裔あるいは、江南の地にいた人達のことなのでしょう。
絹・蚕の産地・機織り機
江南にある蘇州は、紀元前2000年の夏王朝時代から文字で記録された場所で、春秋戦国時代は呉の領土でした。少なくとも紀元前2700年前、太湖流域の人々はすでに蚕を飼い生糸を取って絹を織っていたといいます。
春秋時代に養蚕業は十分発達して主要な産業となっていました。
紀元前400年頃の日本では、まだ木や麻などの植物の繊維から糸をとって、機織り機が登場し布を織っていた時代です。
蘇州は中国の絹織物の中心地となり、日本の呉服もこの地から伝来してきたものです。
『世説故事苑』によれば応神天皇の時代に伝来したと伝わります。
水軍
春秋時代には呉越が戦ったが、双方とも強大な水軍と航海に長け有し木造の戦艦もすでに有していました。
熟鮓(なれずし)
なれずしは滋賀や福井の特産「鮒ずし」のことです。この進化形が現代のお寿司です。タイの北部から中国雲南省(越国)にかけての地域に起源を持ち、弥生時代に稲作が中国から伝わったのと同じルートでもたらされたものとされています。
シャーマン
春秋戦国時代になると、礼制を重視した西周王朝への反発から法の厳格な支配を進めた国が多かったものの、楚国は土着民族との交流を続け、それらの民族が持つシャーマニック信仰を風俗として取り入れてきました。楚王も巫祝王として占トによる政治を続けていました。楚では動物が神聖なトーテムとして崇拝され、奇怪な造形物が発見されています。
食品類 (酒造、納豆等発酵食品類、
食品の製造法にも日本食と同様のものがみられます。
ワラビ、クズの根、カシ、トチなどの堅果を水に晒してあく抜きする技法、ウルシの樹液から漆器をつくる技法、柑橘類の栽培と利用、麹を用いた酒の醸造などが挙げられます。
また、納豆の製造もこの地域が起源であって、粘つく納豆は日本独特のものですが、乾燥納豆は雲南地方にも見られます。
土師器
土師器(はじき)は、弥生土器の流れを汲み、古墳時代から奈良・平安時代まで生産された素焼きの土器です。高温土器生産の技術は、中国江南地域に始まり、朝鮮半島に伝えられました。
『日本書紀』には、百済などからの渡来人が製作したとの記述があるようです。
参考
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真理の島 四国(愛媛、香川、徳島、高知)
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