G:古代ギリシャの文化(先史時代~ヘレニズム)

先史時代

旧石器時代 前期 (紀元前40万~20万年前)

ギリシャ最古の人類は、確認されているところではペトラロナ人。 ペトラロナ人はホモ・エレクトゥスとネアンデルタール人の特徴を持ち合わせており、 ギリシアにおいて人類の活動が始まったのはこの時代とほぼ考えられています。

ペトラロナ洞窟

ペトラロナ

旧石器時代 中期 (紀元前15万~3万年前)

15万年前になると、生活の痕跡が増加し、この時代が中期旧石器時代のはじまりとされています。6万6万年前になると、旧人の活動が確認され、 地中海でよくみられるムスティエ文化の特徴がみられます。特にアルゴリスにあるフランクティ洞窟ではネアンデルタール人によるものと思われるルヴァロア技法の剥片が発見されています。 5万年ほど前に至ると最終氷期に突入、海面は下降し新人クロマニョン人の時代に移っていきます。

フランクティ洞窟

アルゴス(アルゴリス)

ムスティエ尖頭器

旧石器時代 後期 (紀元前3万~1万年前)

狩猟採集民による活動を示唆する文化層の堆積が見られ、狩猟の方法も組織的なものへ変化し、さらには石器の加工技術も進み、洞窟絵画や女性彫像もこの時代に見られるようになります。

中石器時代(紀元前1万~7000年前 )

温暖化が進んで海岸線が上昇し、それまでの狩猟生活から蓄える生活への転換がみられます。洞窟内からは、魚の骨、釣り針が発見されており、海洋へ積極的に進出していることが伺われます。

新石器時代 初期(紀元前7000‐5800年)

新石器時代における文化は土器など含め西アジアより伝搬したと考えられています。
この時代に至ると、大麦、小麦を基本穀物としてレンズ豆などが栽培されるようになり、さらには山羊、羊、豚、牛、犬などの家畜も扱われるようになります。豊富な水と肥沃な土壌が存在する地域ギリシア北方が先進地域では初期農耕が行われ、ギリシア南部ではさほど発達していませんでした。初期新石器時代に入ると、土器に様々なスリップ(釉)が施されたものが見られる。

新石器時代 中期(紀元前5800‐5300年)

中石器時代に至ると様々な形が現れ、地域による違いも見られるようになっていきます。特にセスクロ文化(テッサリアの中期新石器時代の文化)では、白色の器面に赤でジグザグ文様を描いたものや「新石器ウアフィルニス」と呼ばれる独特の光沢を持つ淡褐色の地に簡素なパターンを描いたものが同時期のペロポネス半島に存在しており、この時代の製陶技術が高い水準にあったことが示されている。また、大理石の女神像も多く発見されています。

ヴィンチャ文化:紀元前5700–4500年

ヴィンチャ文化は東南ヨーロッパ(バルカン半島)のギリシャ北部(マケドニア)あたりで発展した古代ギリシャ前の文化。ここでは多数の縄文土偶と類似した土偶が発見されています。ヴィンチャ文化では知られる限りの集落趾のすべてから<鳥女神>像が発見されています。

ヴィンチャ(Vincha)文化位置

鳥女神は、体は「✙・平衡」、首に「sheveron・V 平衡」、腕と頭に「雨粒」を持った鳥の女神です。「雨による平衡の女神」にコーカサス地方部族の「鳥妖精」が習合しています。

旧石器時代後期以来何千年にもわたって作られた男根や蛇を象徴する鳥の長首には、
神聖なる水鳥の「二重の性(バイセクシャリズム)」
が明らかに強調されている。
この「両性」は女性原理と男性原理の結合なのではなく 一つの神閣に備わる2つの局面、すなわち、鳥の神と蛇の神との結合から導き出されたものである。
7千―6千年期のエーゲ海地方やバルカン各地では、男根を思わせる<鳥女神>像が盛んにつくられた

ヴィンチャ文化後期 
アヒルの仮面 胸に縦線がついたV字

3個の腕輪、3か6個の首飾り
( どの地域でも共通して、 喉に1個ないし3個また6個の穴や刻みめがつけられている
「3」という数とその倍数は女神にかかわる何らかの象徴的意味を持っていたらしい)
ミノアだけでなくギリシア美術においても鳥やアテナ像には通常3本の柱のような線が伴う

男性像 
前6500-5800年 
マグネシア地方、セスクロの集落出土 

マグネシア地方

女性像 
前6500-5300年
 ギリシア本土ラコニア地方スクタリ浜出土
大理石製

ラコニア地方

新石器時代 後期(紀元前5300‐4500年)

後期新石器時代の代表的遺跡であるディミニのアクロポリスではその後訪れるミケーネ時代を先取りした独特の構造を構成しており、周壁が築かれ、これはメガロン形式の先取りと考えられています。また、この時期から集落間での戦いが行われていた痕跡ものこされています。

ディミニ文化(前5000年―前4000年)

テッサリア地方南西部ディミニ遺跡から発見された新石器時代末期の彩文土器は、研磨された赤色地に白色の彩文を描くもの,黒色の彩文を描くもの,白い化粧土の上に黒色の彩文を描くものの3つに分類され、その文様は幾何学文,渦巻文が多く,器形は,底面が小さな深鉢,高台付き杯,両耳付き水差し,小鉢などがあります。

渦巻の描かれた母子像(BC4,800~4,500年頃)
身体は蛇を思わせる縞模様で覆われ、特に陰門にはとぐろを巻く蛇の文様が付けられている

ヴィンチャ文化の南ギリシャのディミニ(Dimini)においては、「渦巻」模様の像や土器が発見されていることで知られています。

<蛇女神>像は、、ふつう平行線やジグザグ、点列 といった文様で装飾されているが、最も頻繁に見られる表現は、蛇を身体に絡みつかせたり髪形を「蛇=渦巻き」風にして蛇の特徴を強調するもの <鳥女神>や<蛇女神>が支配する上層の水と下層の水は、迷路風雷文(メアンダー)や蛇の渦巻で表わされる・・

紀元前5300-3300 

サリアゴスの豊満な女性
前5300-4500年
サリアゴス島、アンティパロス出土
大理石製

エーゲ海

新石器時代 末期(紀元前4500‐3200年)

しかし末期新石器時代に至ると、再び洞窟への回帰が見られます。ディロスのアレポトリュパ洞窟やナクソス島のザス洞窟などでは後期新石器時代の銅製短剣も見つかっています。

女性像 
末期新石器時代(前4500-3800年)
 クレタ島イエラペトラ、カト・ホリオ出土 
粘土

アッティカ地方

人物像 
末期新石器時代(前4500-3200年)
 ギリシア本土ラリッサ地方ティルナヴォス
カストリの丘出土
 大理石

ラリッサ地方

紀元前4500-4000

参考:キュクラデス石偶 古代ギリシャ-時空を超えた旅展より

蛇の渦巻き状頭部装飾 ギリシア北東部シタグロ出土
東バルカン文化、前4000年ごろ

エーゲ文明(紀元前3200-1200年)・・・青銅器文明

前期エーゲ文明では 掘された王の宮殿跡から基本的に戦争もなく比較的平和な時代だったようですが、後期になると城塞が築かれ争いが増えていったようです。青銅器文化が栄えた時代で、ミノア(クレタ、ミノス)、トロイア、ミケーネ、キクラデス文明がよく知られています。 古代エジプト文明の影響を受けたとされ、 線文字A、線文字Bなどの高度な文明を残しましたが、紀元前12世紀突如滅亡します。

紀元前3000年~2000年頃 地中海 キクラデス諸島 キクラデス文明

キクラデス諸島では、新石器時代後期から青銅器時代初期にかけて、キクラデス文化が栄えました。本土のヘラディックおよびミケーネ、クレタ島のミノア文明とほぼ並行して発展し、紀元前3000年ごろの初期キクラデス時代はエーゲ海域で最も華麗をほこっていました。この文明で最も有名なのは謎の刻線文様のフライパン形土器と大理石製の女性像で1400体ほどが見つかっています。胸の部分が強調され、妊娠しているものと思われるお腹のふくらみ、腕を組み逆三角形状の姿をしているのが特徴。これらはエーゲ海東・西部の沿岸部やクレタ島にも分布しています。

キクラデス諸島

ヴァイオリン形女性像 初期キュクラデスⅠ期(前3200-2800年)

首には平行する2つのV字形のモチーフと、胴のには4本の水平線が線刻されている。

彩色スペドス型女性像 初期キュクラデスⅡ期(前2800-2300年) ナクソス島出土

前期キクラデスII期の群像

参考

アテネ国立考古学博物館【1】エーゲ文明(キクラデス文明・ミノア文明他)

紀元前2600年~1200年頃 地中海 トロイア トロイア文明

トロイア遺跡

エーゲ文明を代表する三文明のなかで最も古い起源を持つ最古の文明。トロイア( イリアス )は現在のトルコ北西部、ダーダネルス海峡以南にあったとされる。一般に、ハインリヒ・シュリーマンによって発掘された遺跡がトロイアに比定されています。古代ギリシアの詩人ホメロスの英雄叙事詩『イリアス』によれば、トロイは王妃ヘレネをめぐり、ギリシアと10年におよぶ戦争(トロイ戦争)となり、「トロイの木馬」の計略により、一夜にして陥落した伝説の都になります。

紀元前2000年~1400年頃 地中海 クレタ島 ミノア(ミノス クレア)文明

C

ミノア文明は、エーゲ文明のうち、クレタ島で栄えた青銅器文明。ギリシャ神話ゼウスの誕生の地であり、ミノタウルス伝説の地。キクラデス文明が終焉を迎えた紀元前2000年ころ、クレタ島にこれまでの集落の建造物とは桁違いの大きさを持つ「クノッソス宮殿」が出現し、 アカイア人の侵攻を受けるまで繁栄します。 海洋交易によって発展した文明でエジプトやフェニキア人との間で盛んに交易が行われ、オリエントの文明の影響を強く受けていました。都市を城壁で囲んでいないことから、平和な文明であったと推測されています。 文字は線文字Aを使用していたが、今現在、解読されていません。

海洋文様が描かれた土器

雄牛と二人の女性が描かれたクノッソスフレスコ画

蛇の女神

参考
イラクリオン考古学博物館
ハナトモのベルギー→スウェーデン→オーストラリア→シンガポール日記
イラクリオン考古学博物館

紀元前1600年~1200年頃 地中海 ミケーネ・ティリンス ミケーネ文明

ギリシアの北方から移動してきたアカイア人がギリシアに定住したことがミケーネ文明が始まりです。クレタ文明と異なり、都市は外敵に備えて城壁で囲われていました。こちらは解読されている。アカイア人は、クレタ文明を滅ぼし、トロイア文明の滅亡にも加担したとされています(トロイア戦争)。線文字Aを改良した線文字Bを使用していました。紀元前1200年頃、海の民により崩壊したと考えられています。

暗黒時代(紀元前1200-700年)・・・鉄器文明

エーゲ文明が崩壊した、紀元前1200年の「カタストロフ」から紀元前700年頃までの間における文字資料に乏しい時代が暗黒時代です。このカタストロフが到来したことにより、ミケーネでは巨石を使用した巨大な宮殿は姿を消し、金銀で作られた器も姿を消します。また、この時代のうち前1059年から前700年頃は土器に幾何学文様の描かれたことから幾何学文様期と呼ばれる事があります。それまで使用されていた線文字Bも使用されなくなり文字資料が乏しくなりましたが、ギリシャ人とフェニキア人が接触することによりアルファベットが成立し、エーゲ海地帯に普及するまで続きます。

幾何学文様式土器

暗黒時代に全く文化が栄えなかったわけでなく、この時代にも華やかさはありませんが、アテナイを中心として幾何学文様の土器が造られています。

鉄器の伝来

前1200年のカタストロフによってヒッタイトが崩壊すると鉄器が世界へ広がることになります。ギリシャに鉄器と思われる金属が登場したのは前13世紀末と言われています。

フェニキア人とアルファベット

アルファベットの描かれたつぼ

フェニキア人は、地中海貿易で栄え、北アフリカ(カルタゴ)やイベリア半島にまで植民市を建設した。彼等の文字アルファベットは、ギリシアに伝わり、ヨーロッパ各地の文字のもととなった。アラム人のアラム語は、オリエントの国際語となり、アラビア文字のもとになった。

(地図)北アフリカ沿岸からスペインにかけて建設されたフェニキア人の植民都市

アルカイック期(紀元前8世紀~紀元前480年)

「アルカイック」という言葉はギリシア語で「古い」を意味するarchaios(アルカイオス)に由来します。 アルカイック期の始まりの時期にはドーリア人たちも加わりギリシアの人口は爆発的に増加していました。 アルカイック期はギリシアの政治、経済、外交関係、戦争、そして文化の発展が見られる時代であり、 都市国家ポリスの建設され、植民地化へと進んでいきます。

ポリス

青銅器時代にはギリシア各地に王国が割拠していましたが,この時代には崩壊し,王家が存在した場合でも弱体化して,貴族が支配していました。この頃,貴族が中心となり,一般自由民の主権を背景として,小規模な国家が各地に形成されていたようです。ポリスは一般に「都市国家」と訳されます。元来は小高い丘の頂に営まれた城砦を意味していたものでしたが、ヘシオドス以降、中心市とその周辺に広がる田園村落地域を包摂する共同体国家を意味するようになりました。

アテネのアクロポリス

このような都市国家では「ホプリテス」と言う名の重装備の歩兵が軍隊の主力となって戦い、特にスパルタの重装歩兵軍はギリシャ最強の軍隊だと言われていました。主に槍と盾を装備して密集陣形(ファランクス)を組んで戦い、古代ギリシャでは戦闘における剣の価値は低い物でした。

ギリシャ文字

ギリシア文字は、古代ギリシア人がフェニキア文字を元に作った文字のこと。ギリシャ文字を元に、ラテン文字やキリル文字がつくられていきます。

巨大彫刻

暗黒時代の彫刻は主にテラコッタの人物像、ブロンズ像、象牙像でしたが、エジプト、メソポタミアの石像彫刻に触発され、ギリシア人は再び石に彫刻を始めます。形態も大きく3つに大別され、青年の裸身立像であるクーロス像、布をまとった娘の立像であるコレー像、そして着座した女性像があります。また、顔の感情表現を極力抑えながら、口元だけは微笑みの形を伴ったアルカイックスマイルも特徴です。どれもが、人物の本質的な特徴を強調して一般化し、人間解剖学の理解をさらに正確に反映されています。

クレオビスとビトン
クーロス像
紀元前 580年頃。

ペプロスのコレー像
紀元前530年頃

アルカイックスマイル

植民地化

紀元前8世紀、7世紀に、古代ギリシアは植民地を探すため地中海、マルマラ海、黒海方面に関心を広げていきます。これらのギリシアの植民地は、ローマのように従属さえて支配していくものではなく、母体の都市に依存せず、それぞれの権利を持って独立した都市機能をもったものでした。

古典期(紀元前479-323年)

ペルシャ戦争が終わった前479年から、アレクサンドロス3世が死亡した紀元前323年までが古典期と呼ばれる。紀元前508年にクレイステネスがポリスのアテネ (アテネイ) において民主制の基盤を整えて以降、アテネはアケメネス朝ペルシアによる二度の侵攻、いわゆるペルシア戦争に勝利することでその名声を高めて行き、ギリシャ最強で主導権を握っていたポリスのスパルタを追い越しこの時代の主役となっていきます。 その後アテネはデロス同盟を結び、その盟主となるとエーゲ海を支配していき全盛期を迎えます。しかし紀元前431年に勃発したスパルタとのペロポネソス戦争が長期化し、紀元前403年にスパルタに破れたことでアテネは凋落。その後、スパルタ、テーバイへとその主導権は移っていくことになりますが、北方のマケドニア王国の勃興によりポリスは徐々にその支配を受けて行くことになります。 また、この古典期は後世のヨーロッパ人に影響を与え、 ギリシア人としての出現とともに西洋文明が始まったとされ、西洋文明の中核をなすものとなっていきます。

現代人が「ギリシア文化」と聞いて思い出すものは、ほとんどがこの古典期のものが該当します。
例えば、パルテノン神殿、ソクラテス、プラトン、アリストテレスといったギリシャ哲学、三大悲劇詩などよく見聞きするもののほとんどはこの時代のものです。

アテネ(アテナイ)のパルテノン神殿

アテナイ市の守護神「処女」アテナを祭った神殿。パルテノンとはギリシャ語で「処女」という意味。起源前447年に始まり、工事は432年まで続いていました。建築を手がけたのはイクティノスとカッリクラテス。フェイディアスが金と象牙でつくったアテナ・パルテノス(処女神アテナ)像をはじめ、貴金属の奉献物などさまざまな財宝が収められていました。

アテネのパルテノン神殿

アテナ神

彫刻

古典期では、現実的な人間の形を描写するギリシア彫刻家の技術技法の劇的な増加に伴って、彫刻の体型や機能の変化が見られました。紀元前500年頃からは、神話における架空像などとは対照的に、現実の人々を描写することが多くなり始めていきます。

マラトンの若者
紀元前4世紀

ヘルメース
リュシッポス作

哲学者

ソクラテス

西洋哲学の基礎を築いた人物の1人として、特に、西洋道徳哲学(倫理学)の伝統における最初期の道徳哲学(倫理学)者の1人

プラトン
ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師に当たる。

アリストテレス
しばしば西洋最大の哲学者の一人とされる。知的探求それらの体系を築いた業績から「万学の祖」とも呼ばれる

ヘロドトス(紀元前490-430年あたり)

ヘロドトスは古代ギリシアを代表する歴史家。歴史という概念の成立過程に大きな影響を残していることから、歴史学および史学史において非常に重要な人物の1人とされ、しばしば「歴史の父」とも呼ばれています。アルカイック期に関する情報源としては、ヘロドトスをはじめとする古代ギリシアの著作家たちによって記録された伝説が挙げられています。しかし、それらの伝説は現代において認識されている「歴史」の形式とは異なり、ヘロドトスは、自身がその情報を正確なものであると信じているか否かに拠らず記録を残しています。

ヘレニズム(紀元前323ー紀元前30年)

ヘレニズムは、ギリシア(ヘレネス)という言葉からつくられた近代の用語で、ギリシア風、ギリシア文化という意味で用いられます。ヘレニズム時代はアレクサンドロス3世が死亡した紀元前323年からはじまり、 プトレマイオス朝エジプトの滅亡(紀元前30年)するまでの約300年間を指します。 アレクサンドロス3世の死後、その大帝国は後継者争いとして部下たちの奪い合うところとなります。 そこから派生した諸国をヘレニズム諸国といい「アンティゴノス朝マケドニア」「 セレウコス朝シリア 」「 プトレマイオス朝エジプト 」といった大体3つの国が並び立つことになります。 ヘレニズム諸国は互いに抗争を続けるうちに、西方で強大になってきたローマの進出を受けて征服されていくことになります。

アレクサンドロス3世

アレキサンドロス3世
在位:紀元前336年 – 紀元前323年
戦術・戦略の天才であり、30歳までにギリシャからインド北西にまたがる大帝国を建設した。

マケドニア

芸術は、ポリスの衰退によって建築や美術には君主や富者の保護による文化の生活が強まります。華麗で繊細なものになったものの、技巧に走る傾向があり、とくに彫刻では、ロードスのラオコーン群像、サモトラキのニケ像、ミロス(ミロ)のビーナス像、ペルガモンのゼウス大祭壇の浮彫りなどは有名です。

ラオコーン像

ミロのヴィーナス像

哲学・思想でもポリス的なギリシア人の民族意識が希薄になり、個人主義的な傾向と、民族・国家の粋を意識しない世界市民主義的(コスモポリタン)な風潮が特徴であった。政治から逃避し個人の心の平安とそれを得るための克己禁欲を説くゼノンのストア派や、原子論を発展させ、死への恐れを不要とし、感覚に基礎をおく穏やかな快楽に安んじて平静不動を求めるよう口説いたエピクロスとその学派が盛んになった。

哲学・思想でもポリス的なギリシャ人の民族意識が希薄になり、個人主義的な傾向と、民族・国家の枠を意識しないコスモポリタンが風潮で、禁欲主義のゼノンのストア派、反対に快楽主義的なエピクロス派が知られています。

ヘレニズム時代の思想

ゼノン(キブロス島出身)エピクロス(サモス島出身)
禁欲主義(ストア派)快楽主義
アパティア
禁欲による理性的境地
アタラクシア
心の平安・精神的快楽が人生の目的
世界市民主義に発展
ポリス的価値観をこえ、普遍的人間性を追求する態度
世間から離れ、心の平静を追求する隠遁的傾向
宇宙は2つの原理からなる
→アリストテレスの影響
宇宙は原理からなる
→デモクリトスの影響
参照

参考HP
唐草図鑑
わすれへんうちに

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