旅行記06 安土城跡へ

東北大震災

2011年1月31日退社。
退社した翌日からは、自由になれたという気分と不安が入り混じった生活が始まった。
疲れた身体を休めるため、ごろ寝のぐうたら生活を続けていた。
やっぱり、仕事をやめるとだらけてしまう。

就活もしなければいけないのだが、それよりもうつ病治療に専念をと
信頼していたセラピストの指示通り瞑想にひたる毎日を送っていた。

朝から湯舟にドップリつかって、
ストレッチをして、
1日中冥想を実践の日々。

そんな中、3月11日東北大震災がおこった。
私の配属される予定であった工場も被災。
豪雪地帯で福島原発とも近い場所だった。

当時は積雪5mほどだったので、
温暖育つでうつ病を抱えていた私はヘタっていたであろう。
雪国は苦手。
そして、これがきっかけで求人も激減し不安増加。
このときは転勤していれば、災難にあっていただろうし複雑な心境でした。

1年くらいは療養しようと思っていたのに、不安になって転職活動を。
練習がてらに滋賀の企業に面接に受けにいくことにした。
(まだ、調子わるいのに)
転職の面接は1時間なげーよな。
面接が終わってから、
ついでに安土山へ行こうと一泊することにした。

近江八幡~安土へ

春も温かくなってきた頃なので、近江八幡駅から安土まで徒歩で歩くことにした。
このあたりは、ひろーい平野が続き、まるで北海道みたい。(北海道いったことないけど)
佐賀県の有明海あたりな感じか。
手前の山が安土城のあった安土山でござる。
あそこを目指して歩く。

菜の花の黄色い色がよく目立つ。
カモもぷかぷかと川で泳いでいた。
春霞といい、快晴でとてものどかないい散歩日。

安土山到着。
標高は190m。
松山城の標高が132mでちょっと高い感じ。

あっちの山が六角氏の観音寺城のあった観音寺山。
標高432mと安土山よりもかなり高い。
戦国期は最大規模の山城であったのに、信長の上洛5万の軍に1日で落城したという。

入口付近。
2000年頃来た時はまだ、こんなに石垣や駐車場も整備されていなかった。


真ん中の赤いまっすぐのルートが大手道。
この道から天守閣のあった場所まで登っていく。

この立派な石段も整備されてできたもの。
以前来た時は山道のような感じだった気がする。

この道の両脇に家臣団の屋敷跡がある。
右手一番下が前田利家邸跡。

前田利家の家の反対側、大手道の左が仲のよかった羽柴秀吉邸跡。

結構広い場所。

秀吉邸から見下ろすとこんな感じ。
敵から攻められると家臣の屋敷もなくなるという。

他にも屋敷跡があちこちに。

広い大手道が天守まで続いていく。
あまり、防御面を考えていないようだ。
実際、本能寺の変時に城の居留守役をしていた蒲生賢秀が一目散に逃げたのも分かる気がする。
威厳を示すために作った城なんだろうな。

安土城の二の丸跡と伝えられる場所に信長の本廟がある。
1583年に羽柴秀吉によって建立されたもの。

この大きな石段を登るといよいよ天守閣。

天守閣跡へ到着。

この周辺はほんと田んぼしかない超田舎。
だからのんびりできて癒される。

帰りは大手道ではなく、西側の摠見寺への道を降りる。
摠見寺三重塔。摠見寺には石を御神体として、信長の誕生日には人々参詣させ拝むよう命令させていたお寺で有名。

この近くからは西湖が望める。

安土城下といっても、今はほとんど民家がちらほら。
ここはセミナリオのあった場所。

「天下の老人之墓」が気になった。
形も一際いやらしい。

茅葺屋根の家と梅の花。
こういうのどかな風景なかなかみれないな。

帰りは安土駅へ向かう。
安土山よさようなら。

 

画像クリックでトップへいきます

真理の島 四国(愛媛、香川、徳島、高知)

公式サイト

至上初!潜在意識のコアからセルフヒーリング。
大うつ・パニック・不安障害も見違えるほど速攻でよくなる
PTSD、解離性障害、トラウマケア、自律神経失調症
HSP(ハイリ―センシティブパーソン)
に適した覚醒型ヒーリング

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました