道教の歴史

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道教とは

道教(どうきょう)は、中国三大宗教(儒教・仏教・道教の三つ)の一つ。
その起源には、いくつか説があり、一つは老子自身によってつくられたとする説、あるいは黄帝が開祖で老子がその説を説いたとする説、元始天尊から老子に継承されたとする説などがあります。
中核は、 春秋戦国時代(紀元前500-300年頃)の諸子百家の一つ 老子や荘子といった道家の「老荘思想」で、それに易経、陰陽五行説、アニミズムの神仙思想など様々な思想が融合してできた宗教です。
道教においては、不老長生を得て「道」と合一することが究極の理想として掲げられ、道徳の教理を記した書の冒頭には『老子』の「道」または「道徳」について説明がなされています。

道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名に非ず。名無し、天地の始めには。名有り、万物の母には。故に常に無欲にしてその妙(深遠な根源世界)を観て、常に有欲にしてその徼(明らかな現象世界)を観る。この両者は同じきより出でて名を異にし、同じくこれを玄(奥深い神秘)と謂う。玄のまた玄、衆妙の門。

— 『老子』第一章

道教=易経+陰陽五行説+老荘思想+神仙思想+仏教
のように様々な宗教、思想を融合してできた宗教。

八卦・易経

易は、伏犠(ふっき)が最初に八卦をつくり、孔子が集大成したと伝わります。
」とは、 爻と呼ばれる陽(剛)と陰(柔)の2種類の記号を3つ組み合わせたもの。組み合わせの数が8通り(☰☲☳☴☱☵☶☷)できたものが「八卦(はっけ)」になります。 卦の形はさまざまな事物事象を表すとされ、方位などに当てて運勢や方位の吉凶を占い用いられます。
易経は、八卦を2つ組み合わせた六十四卦につけられた占いの文章「」と、易全体およびそのおのおのの卦の解説「または十翼 」で構成されたものです。

神仙説

神仙説」とは、中国の周(しゅう)の末ごろ(前3世紀前後)に、燕(えん)や斉(せい)の方術士たちが説き、秦・漢代に流行した思想です。不老不死の仙人が実在し、不老不死の存在に近づこうとする考えで、修行によって到達する方法と、薬を服用して不老不死になろうとする方法があるとされた思想です。「蓬莱石組(ほうらいいわぐみ)」「鶴亀石組(つるかめいわぐみ)」「夜泊石(よどまりいし)」「舟石(ふないし)」「七五三石組(しちごさんいわぐみ)」「陰陽石(いんようせき)」も神仙思想に基づいたものです。

陰陽説

陰陽説は、すべての始まりは混沌(カオス)であり、混沌の中から「陽の気」と「陰の気」が生じて万物の事象を理解し、将来まで予想しようとする中国に端を発する思想。森羅万象、宇宙のありとあらゆる物は、陰と陽はお互い相反する性質をもつものが必ず存在し、お互いが消長盛衰、調和して初めて自然の秩序が保たれるという考え方。

五行説・陰陽五行説

五行思想とは、春夏戦国時代の陰陽家騶衍(すうえん)(紀元前305年頃 – 紀元前240年頃)が創始した思想です。もともと陰陽説と五行説は無関係で、後にできた五行説が当初から陰陽説と結びついてできたので陰陽五行説ともいいます。「五行」は木・火・土・金・水を万物組成の元素とし,木・火は陽に,金・水は陰に,土は中間にあるとして,これらの消長によって天地の変異・災祥・人事などの吉凶・禍福を論ずるものです。 鄒衍は 混沌から太極を経て五行が生み出されたという考え方から、 五行説と陰陽説が統合し陰陽五行説を唱えます。

五行説

陰陽五行

老荘思想

老荘思想」とは老子と荘子の教えの総称で、儒家の礼や徳を人為的なとして否定し、不自然で作為的な行いをせず、自然体でいること(無為自然)でこの世が治まるということを説いた思想です。
私(小我)を捨て、一切をあるがままに受け入れ、天地自然の動きに身を任せて生きようというもので、老子はこれを「無為自然(むいしぜん)」と呼びました。「〜すべき」といった常識に囚われたものではなく、自然のリズムに合わせて無理せず生きることこそ最上であるという生き方の哲学です。この「無為」は、ありのままを受け入れる消極性と、やるべきことをやるという積極性を双方兼ね備えています。

老子

荘子

道教の歴史

はじめは符呪(おふだやまじない)が中心の、不老不死(壽)、金銭的な豊かさ(禄)、家庭の幸福(福)などの現世利益を求める宗教であったものが、老子や荘子の「道」の道徳観や易の宇宙観を取り入れ、さらに後世には仏教思想を取り入れて一つの宗教体系となっていきます。

紀元前3世紀頃の春秋戦国時代 、斉の国には民間の巫祝(ふしゅく:呪術師のこと)による農作のための山川(さんせん)の祭りと、それを基礎にして王侯が農作を祈る八神(天主、地主、陰主、陽主、月主、日主など)の祀りによる山川の祭祀(さいし)がありました。この八神の祀りに、当時既に存在していた経絡医経(鍼灸医療学)や本草経方(漢方医薬学)といった学問と歩引(ほいん)、按摩(あんま)、服餌(ふくじ)、黄冶(こうや)(体操、食物、錬金養生)などが結合してできた神仙方術を駆使した宗教集団が存在していました。 神仙の術を身につけた者を方士(ほうし)といい、神仙方士による宗教集団を方僊道(ほうせんどう)といいます。
燕(えん)・斉(せい)(河北省・山東省)地方 には 方僊道 が存在していました。王侯貴族 は方士の言葉を信じて、不老不死の神仙薬を得るため神仙が住むという場所に人を派遣したり、神仙の薬をつくらせて不死の力を得ようとしていました。 (秦の始皇帝が方士の徐福に日本に派遣したのは有名な話です。)

春秋戦国時代の斉は威王・宣王のときが最盛期で、この頃でた斉の学者鄒衍(すうえん)が陰陽五行説を唱え、方士たちはこの陰陽五行説を巧みに利用して、神仙説や封禅説に取り入れていきます。中国神話のなかで中国の造物主とされる黄帝は、戦国時代から方僊道や医方術と結び付けられ神仙の祖とされました。
この時代、各地には多数の浪人が溢れ、その浪人たちの中から思想家が多数生まれ、老子や荘子も「道家」といった思想家浪人でした。他にも、孔子、孟子、旬子の「儒家」、孫子、呉子の「兵家」などもこの時代登場し、これらの思想家をまとめて「諸子百家」と言います。戦国乱世の様相を呈する社会において、いかに国を運営して勝ち抜くかが求められたため、諸子百家の思想は基本的には治国運営の術として、各国から重宝されました。
老子は「(タオ)」を何よりも重視し、五千文字余りの『老子道徳経』、俗に言う『老子』を著しました。「老子」の思想は「人為を排除した「道」の状態を理想とし、一切をあるがままに捉えることでより良い社会になり、よりよく生きることができる。」といったものです。老子より後に登場したのが「荘子」で、その思想は、「全ては相対的なものであり、認識や分別といった人為こそが対立事項を生み出しているので、人為を無くせば全ては同一である。」といったものでした。

2世紀半ば 後漢末には、国政も乱れて、儒教にかわって老荘思想が盛んになります。
また、民間の中でも神仙説を取り入れ、老子を尊び、符水と鬼道による治病を主とする教法によって多くの民衆を集めた宗教集団が興ります。この宗教集団が 太平道五斗米道 でこれらは原始道教集団と呼ばれ、道教の骨格が形成されていきます。五斗米道については、この後「天師道」とも称されて道教の主要な一派を形成していきます。道教史の観点からは、太平道や五斗米道の成立までを道教前史(原始道教)として、以後の道教史と区別されています。

六朝時代(280年~317年)になると、中国ではインドから伝わってきた仏教が流行するようになります。道教においても、仏教の慈悲と救済の思想を取り入れて一つの宗教体系となっていきます。特に北魏の寇謙之が進めた天師道の改革によって生まれた新天師道は、太武帝によって442年に北魏の国教とされ、保護されることによって隆盛を迎えました。しかし、不死の修行をしたはずの寇謙之が数年後あっけなく死去、続けて太武帝自身も数年後死んでしまったことで道教熱が急速に冷め仏教熱が盛んになります。道教は、その後も仏教に対抗して教団組織を発展させ、仏教の僧侶にあたる道士、寺院にあたる道観が各地につくられていきます。

唐の時代になると、中国は国際色豊かになり、三夷教といわれる景教(ネストリウス派キリスト教)、ゾロアスター教、マニ教も盛んで、そんな中、道教は国教として保護の対象となっていきます。唐、宋時代を通じて国家の保護が続き、金の王重陽は現世利益の面を弱め禅宗の要素を取り入れて精神性を高めた全真教を起こします。一方、南宋では従来の天師道系の道教が正一教と言われて民間に行われていきます。
元代の末期には、河北を基盤として定着した全真教と、江南で優勢となった正一教が二大宗派となり、その他の諸派は両者の傘下に入るか消滅していくことになります。明代の初めには、道教は国の制度として全真教か正一教かの二つに分けられ、以後その形式は今日にまで至っています。

日本への影響

中国から日本へは陰陽五行思想とこれと密接な関連を持つ天文学、暦学、易学、時計などが飛鳥時代、遅くとも百済から五経博士が来日した512年ないし易博士が来日した554年の時点までに、中国大陸(後漢(東漢)・隋)から直接、ないし朝鮮半島経由で伝来したと考えられています。当初はおもに渡来人の僧侶によって担われていましたが、7世紀後半頃から陰陽師があらわれ役割を担っていくようになります。

奈良時代の律令制がしかれる頃には、陰陽寮が組織化され、その下部組織に吉凶の判断を行う陰陽道、天文の観察を行う天文道、暦の作成の管理を行う暦道が置かれました。
平安時代以降、怨霊に対する御霊信仰などに対し、陰陽道は占術と呪術をもって災異を回避する方法を示し、宮廷から日本社会全体へと広がりつつ一般化し、陰陽師などの手を通じて民間へと浸透し日本独自の展開を強めていくことになります。

また、道教の方術に由来する方違、物忌、反閇などの呪術や、風水説、医術の一種であった呪禁道なども取り入れ、日本の神道と相互に影響を受けあいながら独自の発展を遂げていきます。
8世紀末、密教が伝来すると日本固有の山岳信仰と結合して「修験道(しゅげんどう)」が生まれ、 新しく伝わった占星術(宿曜道)や占術の影響を受けるようになります。
10世紀になると陰陽道・天文道・暦道いずれも究めた大田田根子の末裔にあたる賀茂忠行・賀茂保憲父子が現れ、その弟子から安倍晴明を輩出します。後に、天文道の安倍氏と暦道の賀茂氏が二大宗家として独占的に支配していきます。
江戸時代には、陰陽道はもはや政治に影響を及ぼすことはなくなったものの、民間で暦や方角の吉凶を占う民間信仰として広く日本社会へと定着していきますが、明治時代になると陰陽道を迷信として廃止させていきます。

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真理の島 四国(愛媛、香川、徳島、高知)

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