大神神社(みわじんじゃ、おおみわ神社)~奈良県桜井市~

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はじめに

大神神社 拝殿

大神神社は、奈良県桜井市に鎮座し、三輪山を御神体とする日本最古の神社の一つともされる神社です。
「大神」と書いて「おおみわ」と読むように、古くから神様の中の大神様として尊ばれ、第十代崇神(すじん)天皇の時代には国造り神、国家の守護神として祀まつられました。
この神社がいつできたのかは不明で、その成り立ちは弥生時代、さらには縄文時代と考えられています。

桜井市は、平城京のあった奈良市の南、奈良県中部地域に位置しています。
縄文、弥生時代の土器の欠片が多く出土し、邪馬台国と比定される巻向(まきむく)遺跡や、初の前方後円墳で卑弥呼の墓ともされる箸墓古墳(はしはかこふん)があります。
かつては、『日本書紀』や『古事記』、『万葉集』などに数多く登場し、12代もの宮都が置かれた歴史のある地ですが、現在は田園風景が広がる静かな場所です。
西部には、神武天皇が初代天皇として即位した橿原の宮のあった橿原市(かしはらし)、南西部には中央集権律令国家誕生の地、飛鳥時代の中心であった明日香村があります。

遠方からみた三輪山

祭神の大物主神(おおものぬし)

大神神社の祭神は、日本神話に登場する「大物主神(おおものぬし、おおものぬしのかみ」で、「古事記」の大国主神(おおくにぬしのかみ)の国造りの話しに登場します。

大国主神少彦名神(すくなひこなのかみ:一寸法師のモデル)が出雲で国造りをしていたとき、大国主神が、「お前は小さな神だな」と愚弄したために少彦名神が常世(とこよ)に帰ってしまいます。大国主神が、これからどのようにして国を造っていけばいいか悩んでいたとき、海の向こうから光り輝く神様が現れます。
その神は、大国主神に「私は大国主神の和魂(にぎみたま)であり、我を大和の青垣、東の山の上にいつき祀れば国造りに協力する」と言います。大国主神は言われたとおりにこの神を祀り、国造りを無事終える事ができました。

この祀った地が三輪山(御諸山(みもろやま))であり、その神が大物主神(別名:御諸山上坐神、美和之大物主神、三輪明神)です。
そのため、出雲大社が祀る大国主神(大己貴神)と同一神とされ、出雲系(国津神)、さらには素戔嗚(須佐之男命)へと繋がる神と考えられています。

大物主神(おおものぬし)は、「大いなる物の主」を表し、精霊(もの)をつかさどられる・統すべられるという意味があるようです。
また、水神、雷神としての性格や、日本の守護神、大神氏の祖神である一方、祟りなす強力な神ともされています。

活玉依毘売(いくたまよりひめ)=玉櫛媛(たまくしひめ)を妻とし、娘の姫踏韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめ の みこと)は神武天皇の皇后(初代皇后)に、五十鈴依姫命(いすずよりひめ の みこと)は、綏靖天皇(2代天皇)の皇后となります。
大物主神の子、あるいは子孫とされる大田田根子(おおたたねこ)は、大神神社の神官となり三輪氏、大三輪氏、大神氏、鴨君(賀茂朝臣氏)、石辺公の祖神とされています。


Wikiより拝借
大物主神は、神武天皇の皇后の父であり、素戔嗚尊の孫(国津神系=出雲族)

また、古墳時代に勢力を誇った大連の物部氏の氏神、神武天皇より先に大和に鎮座していることが神話に明記されている饒速日命(ニギハヤヒ)とも考えられています。
また、ニギハヤヒは、ジブリ映画の「千と千尋の神隠し」で登場するハクの本名がニギハヤヒコハクヌシということからも話題になっています。

大神神社の特徴

古来の自然崇拝

大神神社の特徴として、社殿がなく、ご神体が標高467mの三輪山そのものであるということです。
神社の「社殿」が出来る以前の古来からある信仰は、山や樹木などに神が宿るといった自然崇拝(精霊崇拝・アニミズム)でした。
大神神社は、その原初の形態を留めています。

「三」=「蛇」のシンボルが多い

大神神社の神紋

大物主神の姿は、「蛇神」であることが有名です。
これも、古代日本人は蛇信仰をもっていたことからくるのかもしれません。
「三」とは「蛇」を意味するようで、大物主神には「三」のシンボルがよくみられます。
例えば、大神神社の神木は杉、神紋が三本杉。
「ノ」は蛇を意味し、杉という字も3つの「ノ」で成り立っています。
三輪山は、円錐状の遠くからみると三角形の山です。(蛇神を祀る神社の近くは円錐状の山があるそうです。)
また、三輪山には3つの磐座(いわくら)がありますが、これも「三」で結びついています。
大神神社で蛇は「巳さん」と呼ばれ、境内の各所には、蛇の好きな卵がお供えされています。

御神木の杉の木と、供え物

日本最大の巨大大鳥居

大神神社には、大物主神の神名にふさわしい、高さ32.2mの高さを誇る日本一の大鳥居があります。
この大鳥居は、昭和天皇が在位60年を奉祝して昭和61年に造られたものです。

高見からみた大鳥居

三輪山への入山

狭井神社

三輪山へは、神官、僧侶以外足を踏み入れることのできない禁断の地とされてきました。
鎌倉時代になると、慶円が三輪氏の氏神であった三輪神社を拡大し、本地垂迹説によって三輪明神と改め三輪山平等寺を建立。
江戸時代は平等寺の許可がないと入山できませんでしたが、明治以降は「入山者の心得」が定められ、現在はこの心得さえ遵守すれば誰でも入山できるようになっています。
入門するときは、拝殿より北に進んだ狭井神社にあります。
(※御神水も無料でいただけます。)

数多くの摂社が鎮座

大神神社は、拝殿以外にも、周辺に三輪山を囲むように数多くの摂社が衛生的に鎮座しています。
まさに、神の中の神様という威風を感じます。

高宮社:三輪山山頂に鎮座する。 祭神は大直禰子神社
磐座神社: 少彦名神を祭神とする。 拝殿と狭井神社の間にある小さな神社。
狭井神社: 祭神は大神荒魂神。病気平癒の神社 。神水が湧き、無料で飲むことができる。ここから三輪山へ入山手続きできる。
久延彦神社:知恵と学問の久延彦神を祀る神社。
活日神社:杜氏の祖、高橋活日命を祭神とする。
市杵島神社 : 市杵島神社を祀る。
大直禰子神社 :聖林寺の十一面観音像が安置されていた神宮寺。
檜原神社 :元伊勢神社のひとつ。

        盤座(いわくら)神社
大国主神と一緒に国造りに協力した少名彦名神(スクナビコナノカミ)を祀る神社。
一寸法師のモデルとなったように、とても小さい神社です。

       久延彦(くえびこ)神社
大国主神が国造りの相手を探しているときに、少名彦名神を紹介した案山子(かかし)の神様
学問の神として祀られ、受験期にはたくさんの参拝者が訪れます。

三輪山に伝わる伝説

記紀(古事記、日本書紀)で三輪山の話が初登場するのは、崇神天皇の時代(10代天皇、4世紀初頭の古墳時代)です。
崇神天皇は、3世紀後半頃巻向遺跡を中心に支配していた三輪政権時代の、実在していたと考えられている天皇です。
この頃大流行した疫病を祭神が鎮めたこと、祭神の助力を得て杜氏が美酒を醸したといった伝説が記されています。

疫病を鎮めた話し(日本書紀)

即位7年、「昔皇祖大いに聖業高く国は盛であったのに、朕の世になり災害が多い。その所以を亀卜にて見極めよう。」と詔して、神浅茅原に幸して八百万の神を集めて占った。すると倭迹迹日百襲姫命に大物主神が乗り移って自分を祀るよう託宣した。神の教えのままに祭祀を行ったが霊験がなかった。そこで天皇は沐浴斎戒して宮殿を中を清めて、「願わくば夢に教えて、神恩を示してほしい」と祈った。するとその夜の夢に一人の貴人が現れ自ら大物主神と称して「もし我が子の大田田根子を以って我を祭ればたちどころに平安となる。」と告げた。続いて倭迹速神浅茅原目妙姫・大水口宿禰(穂積臣遠祖)・伊勢麻績君の三人がともに同じ夢を見て、大物主神と倭大国魂神(大和神社祭神)の祭主をそれぞれ大田田根子と市磯長尾市にせよという神託を受けた。そこで大物主神の子とも子孫とも言われる大田田根子が探し出されて大物主神を祭る神主となった。三輪山を御神体とする大神神社の始まりである。市磯長尾市(いちしのながおち)も倭大国魂神を祭る神主となった。すると疫病は終息して五穀豊穣となった。

参考:wiki

三輪伝説(古事記)

活玉依毘売(イクタマヨリヒメ)は容姿端正であった。ここにある若者がいた。これも姿恰好当時無類であった。

ある夜、その若者が突然音もなくやってきた。両人ともお互い感じ入って結婚して共に住んだ。まださほど時も経っていないのに、女は妊娠した。父母はそれを不思議に思い尋ねた。娘は、貴く立派な若者が毎夜来て共に住んでいたら身篭ったと答える。

そこで父母はその男の素性を知ろうとして、娘に赤土を床の前にまき散らし、閉蘇紡麻(へそを:糸巻きの紡いだ麻糸)を針に通して、男の衣の裾に刺せと教える。

その通りにして夜明けに見ると、針につけた麻糸は鉤穴より出ていって、あとに残った麻糸は三勾(三巻き)だけだった。これで若者が鉤穴から出た様子が分かり、糸をたよりに辿ってゆくと、三輪山に到着して、大神神社に留まった。それで神の子だと分かった。それで、麻糸が三勾(三巻き)残ったことから、そこを名づけて「三輪」というのだ。

箸墓伝説(日本書紀)

この伝説をもとに、百襲姫(モモソヒメ)は卑弥呼と考えられ、箸墓古墳は卑弥呼の墓ではないかという説もあります。

大物主を祀ることで疫病が収まった後、倭迹々日百襲姫命(やまとととそももそひめ)は大物主神の妻となった。大物主神は夜しか現れなかったので、姫はもっとよく御姿を見たいと言った。そこで大物主神は朝に姫の櫛籠に入るから姿を見ても驚かないでほしいと言った。果たして姫が箱の中を見てみると綺麗で小さい蛇がいた。姫は驚いて叫んだ。大物主神は大いに恥じてすぐに人の形に戻り姫を呪った。大物主神が去った後に姫が腰を抜かして座ったところ、箸で陰部を突いてしまいそのまま亡くなった。姫は大市に葬られ墓は箸墓と名付けられた。この墓は昼は人が作り、夜は神が作ったと言われる。墓を作るため人々は列を作ってリレー形式で石を運んだと伝えられ、この様子が歌に詠まれた。

参考:wiki

大神神社へのアクセス

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