旅行記28 京都東山地区探訪(祇園、八坂神社、知恩院)

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祇園

「祇園」といえば、祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。

祇園は東山にある一帯地域で、かつて八坂神社の保有地で、門前町として四条通の南北に発展した花街。八坂神社も昔は「祇園社」と称されていたことから、この地域一帯も祇園と呼ばれていたという。
祇園精舎はここのことかと思ってた。
インドだったのね。
祇園精舎に鐘はなかったらしい。
人間は空想が好きだね。
この空想、妄想が世の中を偽りの世界に変えていくのである。

京都四条駅祇園地区へ向かうとまず目にとまるのが、歌舞伎座「南座新開場祇園」。
結構迫力ある。

近くに、もち団子屋発見!
もちだんごには目がないのでみそ団子買って食べながら観光。
もぐもぐ

おはぎの丹波屋 四条南座前店(祇園/スイーツ) - Retty
こちらは『おはぎの丹波屋 四条南座前店(祇園/スイーツ)』のお店ページです。実名でのオススメが17件集まっています。Rettyで食が好きなグルメな人たちからお店を探そう!

しばらく歩いていても近代的な普通の街並みが続いているが、ある一角から祇園らしさの街並みが現れる。このあたりを「弥栄地区」と呼ぶ。
弥栄といえばヤーウェ
「私の名を呼ぶはない。」
みんないいまくっている〜。
幽霊のでそうな柳の木と格子造りの屋敷って日本的でいいなー。

このあたりになると、舞妓さんらしい人もうろうろしている。
舞子さんは夜出勤かと思ってたら昼も働いているのね。

辰巳大明神は御所の辰巳(南東)方向の守護神としてつくられた神社。
神社といってもこじんまりとしたもので、現在は舞妓さんが習い事の上達を願ったり、商売繁盛祈願として信仰されている。

辰巳大明神の側にある白川にかかる小さな橋が「巽橋」。
この橋の近くには人をだます悪戯狸が住んでいて、狸を祀る祠を建てたら悪戯が治まったという伝説が残っている。
このあたりが祇園の人気の中心スポット。
げーじんさん達も写真撮影で集まっていた。

祇園北部の祇園新橋周辺は
「伝統的建造物群保存地区」に、
南部の花見小路を挟む一帯は
「歴史的景観保全修景地区」に指定されている。
思ったよりもこの街並みの区画は広くなく、
高知のはりまや橋ほどではなないけどちょっとがっかりするのは私だけではないようだ。

外国人観光客「京都に行ってみたらショボくてガッカリした」 : 旅行行こうず!ー国内旅行まとめブログー
1: 名無しの旅人 2018/05/07(月) 11:42:08.37 ID:aVfxnj9XM 思ったより歴史的な街じゃない!?京都旅行にガッカリした外国人が海外で話題に(海外反応) 投稿

京都は郊外のほうが日本っぽくていいな。

かにかくに碑
「かにかくに祇園はこひしぬるときも枕の下を水のながるる」

八坂神社

全国にある八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする関連神社(約2,300社)の総本社。
祇園地区を管轄していた八坂神社は、伊邪那岐、伊邪那美の三貴神の一人素戔嗚命を祀り、祇園祭りで有名な神社で知られる。
八坂神社は素戔嗚の他に、出雲でヤマタノオロチ退治後妻となった櫛稲田姫命、八柱御子神(素戔嗚の8人の子供)の三柱を祀っている。
社伝によれば、656年、高句麗から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)による創建とされる。現在は素戔嗚が主祭神とされているが、当初は関係のない「祇園天神」または「天神」が祭神だった。後に牛頭天王と素戔嗚尊が習合し、牛頭天王(櫛稲田姫命は牛頭天王の妃頗梨采女 、八柱御子神は八王子)が明治まで祭神となる。
その牛頭天王は、釈迦の生誕地祇園精舎の守護神とされ、中国、朝鮮(新羅)と伝わってきたとよく言われているが、実際にこれらの国で信仰された形跡はなく、現在は日本独自の神であるということが定説になっている。

現在は神社の色合いが濃いものの、創建当初は興福寺や延暦寺の支配を受け「寺」とみなされていたようだ。
平安時代中期ごろから一帯の産土神として信仰され、朝廷からも篤い崇敬を受け次第に大きくなっていく。1070年には鴨川の西岸の広大の地域を「境内」として認められ、「不入権」を承認された。この頃から紀氏一族が執行家として世襲支配するようになる。
八坂神社」に名称が変わったのも、明治の神仏分離からとのこと。
八坂はヤーウェとは関係なさそうだな・・。
そして、出所も出雲系と直接的な関係はないという・・。

「西楼門」
交通量の多い東大路通りに面した大きな門が「西桜門」。
参拝する人達はこの門を通ってくるものの、表門ではないらしい。

「本殿」
「本殿」は1999年から修復工事が行われ2002年に完成したもの。
「本殿」は平安時代初期に藤原基経によって建てられたものが始まりで、現存のものは1654年に徳川家綱が紫宸殿を模して再建したものとされている。
「本殿」と「拝殿」は一つの屋根で一帯になっており、このような建築形式は『祇園造』と呼ばれている。また、陰陽道では大地のエネルギーが集結する場を「龍穴(りゅうけつ)」といい、神社もこの龍穴がある場所に建てられているものもあるようだ。この本殿の下には池があり、池が龍穴の役割を果たしている。

「舞殿(ぶでん)」(左の建物)

納行事、結婚式も行われる舞台。
花街から奉納された提灯には、毎夜明かりが灯される。
現在は電球からLEDに取り換えられている。

知恩院(知恩院)

八坂寺のすぐ近くに知恩院があったのでちょっと立ち寄った。
京都はお寺が多い。」
知恩院は、浄土宗の総本山の寺院。
浄土宗開祖法然が後半生を過ごしたゆかりの地に建てられた。
現在のような大規模な伽藍が建立されたのは江戸時代以降になる。

伽藍
知恩院の境内は、三門や塔頭寺院のある下段(手前側)、御影堂(本堂)など中心伽藍のある中段、勢至堂、法然廟などのある上段の3つに分かれている。

三門(国宝)
まず目にするのが大きな門。
徳川2代将軍秀忠公の命を受け建立されたのもで、高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚という規模。その構造・規模において、わが国最大級の木造の門で国宝に指定されている。
三門とは、悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす門(三解脱門:さんげだつもん)を意味している。

御影堂/本堂/大殿(国宝)
中段にある本堂は。1633年に焼失しており、現存のものは1639年に徳川家光によって再建されたもの。宗祖法然を本尊として安置することから御影堂とも呼ぶ。
前にある立て札がすごく大きい。
中は広々としていて、しばらくぼーとしていた。

青空をみあげると、運気アップの兆しをあらわす龍のように立ち上る雲。
でも、ちかれたので帰った。

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真理の島 四国(愛媛、香川、徳島、高知)

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