面接のコツ
応募も結構だした効果が功を奏し、書類選考を通過したものも結構受け取った。
しかし、筆記試験と面接のあるところはしんどい。
とはいっても、メンタルの調子もまだ思わしくなく受かってもやっていける自信がなかったので、「受かりたい!」という気分にもならなかった。
毎日、湯舟につかって呼吸法やら瞑想、ストレッチなど毎日してだいぶ気分は解れても、それ以上はよくならず・・。
面接セミナーも受け、面接のコツも教わった。
面接のコツのポイント。
それは
「面接官を感動させる」
そういえば、新型うつ上司の採用面接官も
「〇〇さん(新型うつ上司)の自己アピールは感動しました!」
といっていたな。
セラピストの先生も、人間は一番理性よりも感情が重要という事を言っていた。
そこで、面接に挑むときは感情を込めてアピールするのがいいようだ。
そんな時、リクルートからアルミ製造工場の書類選考が通ったので面接を受けてほしいと日程を言い渡された。
面接の練習をしていると、夜中に突然電話が鳴ってきた。
「おい!とるのがおそい!」
「誰や、生意気なー」
と思ったら昔転職した元指導員の上司からだった。
あいかわらず、上から目線なえらそうな話し方やなー。
なんでも、募集を出していた会社の面接担当だという。
「エー」
それで、私の面接が終わった後に一度梅田駅の近くで会う事になった。
それまで、リフレッシュへ。
あまり行っていなかった大阪南部方面の、藤井寺あたりにいってみることにした~。
大阪府 藤井寺市 道明寺、応神天皇陵
藤井寺を選んだ理由は、2番目に大きい前方後円墳「応神天皇陵」の墓をみたかったから。
なんば駅から近鉄南大阪線に乗って「道明寺駅」で下車し、徒歩数分で応神天皇陵に着く。
応神天皇は第15代天皇で別名「誉田別命(ほむたわけのみこと)」。
軍神八幡神の神霊で、全国にある八幡神社の主祭神となっている。
八幡神社の総本山といえば大分県にある宇佐八幡宮。
宇佐八幡神宮は568年(欽明天皇29年)、大神比義命(おおがの ひぎの みこと)が勅命を受けて豊国(大分県)に入ると、「我は、譽田天皇廣幡八幡麻呂、護国霊験の大菩薩」と託宣があり、誉田別命を祭神としたのがの始まりとなった。
八幡宮の大部分は応神天皇(誉田別命)を主神として、比売大神、応神天皇の母である神功皇后を合わせた八幡三神として祀っている。比売大神は宗像三女神(イチキシマヒメ、タギリヒメ、タギツヒメ)と一般に言われているが、他にも神武天皇の母玉依姫命や応神天皇の皇后である仲津姫命とする説もある。
大神比義は奈良の大神神社の社家の生まれに繋がる。
また、宗像氏は吾田片隅命 (あたかたすみのみこと阿田賀田須命)が始まりとされている。
吾田片隅命の弟が蛇神を祀る大神神社三輪氏の祖大田田根子の父健飯賀田須命にあたる。
つまり、大神神社(三本杉紋(三ツ鱗に)、左三つ巴)ー宗像三女神(左三つ巴)ー八幡神社(左三つ巴)とすべて蛇神に繋がっていくようだ。
大神神社を調べると、神社の謎がとけていく~~。
大神神社の中に 市杵島神社がある理由もわかる。
応神天皇陵入り口
でかい古墳なので、森みたいな感じ。
近くに応神天皇の父仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の古墳もあるのだが、このときはあまり詳しく知らなかったので見逃してしまった。
この辺は古墳がほんと多い。
少し歩くと道明寺へ。
道明寺周辺は菅原道真の祖先にあたる豪族野見宿禰の子孫である土師(はじ)氏の根拠地という。
もとは土師寺であったが、大宰府に左遷されることになった道真がこの寺にいた叔母を訪ね「鳴けばこそ別れも憂けれ鶏の音のなからん里の暁もかな」と詠み、道真の死後道明寺となった。
「道明」とは道真の号。
菅原道真の作とされる国宝十一面観音立像もあるようだ。毎月18日と25日に拝観することができる。
大師堂
境内
道明寺近くは大和川が流れている。
大阪夏の陣のとき、このあたりで合戦があった。(道明寺の戦い)
このとき幕府軍は松平忠輝、伊達政宗など総勢34,300の兵に対し、豊臣軍は後藤基次(又兵衛)らの前隊6,400人、その後毛利勝永、真田信繁ら後隊12,000人の戦力。
豊臣方の後退が合戦場に大きく遅参したのがきっかけで豊臣方は敗走した。
羽曳野市 上ノ太子
「道明寺駅」から電車に乗って、羽曳野市の「上ノ太子駅」下車。
「太子」の名から察する通り、聖徳太子と関係ある場所。
小野妹子の墓も近くにある。
太子霊園の中に叡福寺(えいふくじ)という寺がある。
この寺は空海、親鸞、叡尊、良忍、一遍、日蓮、證空など高僧の参籠の地でもあったという。
ベンガラ塗りの南大門をくぐると白砂の境内が広がり、奥に見える原生林の森が聖徳太子の御廟。
戦国時代末期、織田信長の焼き討ちにより寺は全焼。
慶長8年(1603)、豊臣秀頼が「聖霊殿」を再建し、以降は「多宝塔」なども再建されている。
多宝塔(奥)と金堂(手前)
聖徳太子の御廟
聖徳太子、母・穴穂部間人(あなほべのはしひと)、妃の膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ)が葬られている陵墓(三骨一廟)。
多宝塔
この周囲には古墳がいくつかみつかっている。
近くには、なぜか八幡太郎義家で有名な源義家の墓もあったので行ってみることにした。
遠くに何やら不思議な高い塔が建っていた。
調べてみると、PL学園の所有している「PLの塔」というものだった。
PL学園こんなとこにあったのかと少し感激。
人気のほとんどない森の中を進んでいく。奥にあるのが義家の墓。
11世紀、東北地方には出羽国に清原氏、陸奥国に安倍氏という強大な豪族が勢力を誇っていた。
阿部氏は前九年の役で源頼義に敗れ、清原氏は後三年の役で頼義の子源義家、源義光(新羅三郎義光)に敗れる。
なぜ、ここに源頼義、義家の墓があるのかというと、河内源氏の本拠地が羽曳野で義家もここで生まれたからのようだ。義家の四男義国の子孫は足利氏、新田氏、山名氏、里見氏、吉良氏、今川氏、細川氏、畠山氏、斯波氏、一色氏に、義光の子孫は平賀氏、武田氏、佐竹氏、小笠原氏、南部氏と戦国時代の有力大名になっていく。
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