- 世界の女神像の起源概要(紀元前4万年前~2万4千年前)
- 紀元前3万8000年前 ロシア平原 エリセーヴィッチ遺跡
- 紀元前2万5000年前 ローゼルのビーナス
- 紀元前2万8000~2万4000年頃 シベリア マリタ遺跡
- 紀元前2万5000年頃(後期旧石器 大分県 岩戸遺跡 日本最古の女神像?
- 紀元前2.1~1.7万年頃 最終氷期の最寒冷期
- 紀元前1万9000年~1万年頃
- 紀元前1万年~
- ヨーロッパで新石器時代が始まる
- 紀元前1万年前~紀元前8000年 トルコ ギョベクリ・テペの遺跡
- 紀元前6000年 メソポタミア ハラフ文化
- 紀元前6000年 トルコ チャタル・ヒユスクのビーナス像
- 紀元前6000年頃 中国 興隆窪(こうりゅうわ)
- 紀元前4700年~2900年頃 中国紅山文化
- ヨーロッパ方面
- 紀元前3500~2400年(縄文中期)
- 紀元前3500年~3100年 シュメール文明
- 紀元前3000年~1200年頃 ギリシャ エーゲ文明
- 紀元前3000年頃~同2400年頃 南米エクアドル バルディビア文明
- 紀元前3000年頃 メヘルガル遺跡の女神像
- 紀元前2500~1800年 インダス文明 モヘンジョダロ遺跡
- 紀元前2400~1200年頃 縄文時代後期
- 紀元前2500~2000年頃 地中海 マルタ島 マルタビーナス
- 紀元前1750年 バーニーの浮彫 イシュタル像
- 紀元前1200~400年前 縄文時代晩期
- 紀元前1200~400年前 縄文時代晩期前半 青森県 亀ヶ岡遺跡 遮光器土偶
- 紀元前1200~400年前 縄文時代晩期 埼玉県 真福寺貝塚 ミミズク土偶
- 紀元前130年~紀元前100年 古代ギリシャ ミロのビーナス像
世界の女神像の起源概要(紀元前4万年前~2万4千年前)
ユーラシアの後期旧石器時代前半,オーリニャック期の約 40,000 年前に出現し,グラヴェット
期の約 33,000 ~ 28,000 年前に発達した立体女性像は,出産時の妊婦の姿をあらわし,妊娠・安産
を祈願する護符の意味をもっていた。しかし,グラヴェット期後半の約 24,000 年前に女性像は消
滅する。そして,後期末~晩期旧石器時代マドレーヌ期の約 19,000 年前に線刻女性像や立体女性
像が現れ,その時期の終わり頃の約 14,000 年前に姿を消す。
日本では,大分県岩戸遺跡出土の石製品が女性像とすれば約 25,000 年前で,もっとも古い。愛
媛県上黒岩遺跡から出土した立体女性像の石偶は 14,500 年前で,その後,13,000 年前頃には三重
県粥見井尻遺跡の土偶があり,縄文早期以降の発達の先駆けとなっている。
世界最古の女神像は、ユーラシアの後期旧石器時代前半、オーリニャック期の紀元前4万年前頃、クロマニョン人によってつくられたドイツのホーレ・フェルス洞窟で発見されたものとされています。
グラヴェット期の紀元前3万3千~2万8千年頃には、妊娠,安産を祈願するものとおもわれる出産前の妊婦像がヨーロッパ、ロシアであらわれ、やがてシベリアでも頭と胴体だけ像が発見されます。また、日本の大分県岩戸遺跡からも紀元前2万4千年前のものとされるシベリア型と類似したこけし型の石でできた像が発見されています。
その後、2万4千年頃には女性像は消滅します。
ドイツ
紀元前4万~3万5000年前
ドイツ ホーレ・フェルス洞窟「最古のビーナス像」
ドイツ南西部シェルクリンゲンにあるホーレ・フェルス洞窟から身長6㎝のマンモスの牙で作られた「最古のビーナス像」が発見されています。年代的にはおよそ3万5千年から4万年ほど前で、クロマニョン人によってつくられたもの。ビーナス像は高さ約6センチ、幅約3・5センチで重さ約33グラム。頭部はもともとなく、上端にひもを通す穴がありペンダントにしていたとみられています。
腹部に衣服を表現しているものとみられる何本もはいった平行な線が刻まれ、胸、陰部の女性性が「異様なまでに誇張されて」いることから多産を象徴するものであったとも考えられています。
オーストリア
1908年にオーストリアのヴィレンドルフ近くの遺跡で考古学者ヨーゼフ・ソンバティによって発見された女神像。高さ11.1㎝の小像で、この地方では産出されないウーライトによって造られています。
石器時代では最初に発見された女性像であることから「石器時代のビーナス」の総称が生まれました。
ホーレ・フェルス洞窟の像同様、女性性が誇張された肥満体が特徴で、多産・豊穣との密接な関係を示唆していると考えられています。小さな腕は乳房の上でまとまっており、像頭部は、組み紐の巻いたものや、目、頭飾りの一種と考えられるもので覆われています。
研究者の間には「肥満体は、狩猟採取集団の内で、高い地位にあった女性を形象った結果」との意見もあります。
紀元前3万8000年前 ロシア平原 エリセーヴィッチ遺跡
エリセーヴィッチ(Eliseevitchi)遺跡はロシアのブリャンスク、デスナ川の西岸にあり,1935 年の発掘で ロシアでは最も古い1 点の女性像が出土しています。マンモス牙製,現高 17.8cm,頭部を欠失,上半身と下半身は 4 対 5 の割合で均整がとれた形状。上半身は細身で乳房の位置は高く,下半身は脚が太く,尻から大腿部は後ろに大きく突出,膨ら脛は幅広く後ろに大きく膨らみ,全体はどっしりとしている。腹部のふくらみはわずかで横への張り出しはまったくない。この時期のものとしては性的表現は簡素。
紀元前2万5000年前 ローゼルのビーナス
ローセルのビーナスは、1911年、フランス、アキテーネ地方ローセルの岩陰の石灰岩のブロック表面に刻まれているのを発見されました。別名「角のある女性」縦54cm 横36cm 厚さ15cm
大きな胸と誇張された性器、そして長い髪のようにみえる頭をもつ壁画です。左手は妊娠しているような腹部に当てられ、右手には13本の縦線が刻まれた水牛の角を持っています。また、ローセルで見つかった5つの彫刻の1つには金星が刻まれています。
フランス アキテーヌ地方
紀元前2万8000~2万4000年頃 シベリア マリタ遺跡
マリタとは、シベリアの古都イルクーツクからシベリア鉄道でモスクワに向かって約1時間半のところにある小さな農村の名前。マリタ遺跡と近くのブレティ遺跡だけから女性像の発見されています。特にマリタ遺跡からは女性像が豊富に出土しています。
このあたりの女性像はマンモス牙でつくられており、立体感を失い扁平化し、乳房、腕を省略し簡便化したものとなっています。この時期の女性像はすべてヨーロッパ・ロシア平原・シベリアの北緯 55 度~ 40 度の範囲から見つかっています。
参考
・The Mal’ta – Buret’ venuses and culture in Siberia
紀元前2万5000年頃(後期旧石器 大分県 岩戸遺跡 日本最古の女神像?
大分県岩戸遺跡から 1967 年に発見されたもの。
長さ 9.6cm でコケシ形をした石製品。頭部の目と鼻・口の位置を敲打して凹め,後頭部には髪を敲打して表現しているとされています。シベリアのマリタ例などと比較して女性像と主張されていますが、目・口・髪の表現はそれほど明瞭なものではなく、乳房や女性器の表現はなく,むしろ、男根の表現がちかいため、女性像と断定しにくい点があります。
紀元前2.1~1.7万年頃 最終氷期の最寒冷期
紀元前1万9000年~1万年頃
フランス
通称、Venus impudique(卑猥なヴィーナス)。
ロージュリー=バスの女性像は,マンモスの牙製で,高さ 8.0cm,上半身に頭部と両腕はなく乳
房の表現も腹部の膨らみもない。尻は低三角形に突出しているが著しいというほどではない。性的
三角形つまり陰阜は V 字形の深い切り込みの上辺を細く浅い線で区切り,陰裂もまた切り込みが
深い。2 本の長い脚は完全に分離して表現している。胸とウェストの幅が同じく細いので少女的と
いえば,そうもいえるような痩身である。頭部と乳房を欠き簡略化した表現であるけれども,正面
観・側面観とも尊重した女性像といえよう。高さ 8.0cm。
ドイツ
ドイツ・ラインラントのゲナスドルフ(Gönnersdorf)遺跡の住居跡付近からから 1968 年,1970
~ 1976 年に多数発掘され,G. ボジンスキーがゲナスドルフ型と命名した女性像の 1 型式
ゲナスドルフ例は,マンモス象牙のほか,トナカイ角,粘板岩,黒玉を材料にしており,その内
容は多様でいくつにも細分できる(図版13 ‒ 181 ~ 195)。
もっとも多い象牙製品は,象牙の表面から薄片を取り出し,切断→研磨の工程を経て完成したも
ので,頭部の表現はなく,細い棒状の上半身に角の丸い三角形または角が尖った三角形に突出した
尻と細く短い脚をもっている。腹部の突出はまったくない。正面側の幅はいちじるしくせまい。
ドイツのピータースフェルス(Petersfels)遺跡から 1927 ~ 1932 年に発掘された未完成品を含む
21 点の女性像で,黒玉(Gagat(独),jet(英),水中で化石化した樹木)に穿孔して装身具として作ったものと,装身具でないものがある
ロシア平原
ロシア平原のメジン(Mezin)遺跡は,ドニエプル川の西岸,キエフに近い位置にあります。1908 年に
F. K. ヴォルコフが 2 号住居と 3 号住居を発掘し,さらに 1954 ~ 1956 年に I. G. ショフコプリヤス
が 1 号住居などを発掘して計 17 点の女性像が出土している。
,象牙の先端を縦に削いで,その面を正面にして,そこに線刻がある。腹部の突出はなく,
腰は横に張り出し後方にも突出し,どっしりとしている。形態のうえでは頭の明瞭な表現はない。上端
には本のページを左右に広げ,その上に 2 本の線を伸ばした図形,つまり開頁文(open page pattern),
腰に性的三角形を線刻している。したがって,下半身の上に上半身を省略していきなり頭部をつけ
た特異な形状をもっていることになる。
シベリア
シベリアのエニセイ河の支流付近のマイニンスカヤ(Maininskaya)遺跡から 1980 年に出土した
土製の焼成品で,1 点だけ知られている(図版15 ‒ 252)[Vasil’ev 1985]。較正年代は 19,000 年前であっ
て,後期旧石器時代末の立体女性像のなかではもっとも古い。
表裏とも扁平な作りで,頭部・両手・胴部・脚部の区別があり,両手を広げ両脚をおろした奴凧
形を呈する。乳房の表現も性的三角形の表現もなく,きわめて単純な形態である。正面形を重視し
ていることは確かであろう。高さ 9.8cm,幅 7.4cm,厚さ 1.8cm の中型品である。
シベリアのバイカル湖の西付近に位置するクラスヌイ=アール(Krasnyi-Iar)遺跡から 1957 年に
出土した 1 点の女性像である(図版15 ‒ 251)[Abramova 1967,Delporte 1964]。
側面形の前面はく字形で乳房の突出をあらわし,背面はクランク形で尻の突出をあらわしている。
しかし,正面形は単に屈折した棒状であって,抽象化がいちじるしい。頭部や脚部の表現はない。
高さ 3.7cm,幅 1.1cm,厚さ 0.8cm の小型品である。
日本 草創期: 紀元前14,500年- 紀元前9,100年
日本列島では,25,000 年前の大分県岩戸で「こけし形の石偶」の後,長い空白期間をおいて,縄
文草創期中頃,14,500 年前に愛媛県上黒岩に扁平な円礫に乳房と性的三角形を線刻した線刻女神像が現れます。
線刻女神像は長い髪・大きな乳房・こしみの・かすかにわかる逆三角形を、鋭い石器などで小さい緑泥片岩に描かれています。これは信仰の対象であっただろうといわれており、日本での出土は上黒岩岩陰遺跡が初めてで、南ヨーロッパにも類似のものが出土している貴重なものです。
紀元前1万1000年前後
三重県 粥見井尻(かゆみいじり)遺跡
1996年に三重県松坂市粥見井尻遺跡で、女性の上半身(頭部・胸・腹部)を形どった土偶が発見され、相谷熊原の土偶が発見されるまでは「日本最古級の土偶」とされてきました。この遺跡からは、縄文草創期の竪穴式住居跡が発見されています。土偶は2つ発見され、うち一つは完全な形で残っていました。全高6.8cm、横幅4.2cm、厚さ2.6cmで頭部、手足はなく逆三角形をしており、ヨーロッパでみられる像に比較すると、インパクトの強い性の露骨な表現は弱い感じです。
2010年滋賀県東近江市集落遺跡の相谷熊原遺跡から、粥見井尻遺跡どほぼ同時代とみられる女神の土偶像が発見されました。高さ3.1㎝、重さ14.6gの指先サイズ。女性の丸みをおびた豊満な上半身部のみの形状で、乳房、腰のくびれが明瞭に表現され、底を平たく仕上げて自立できる造り方となっています。信仰や祭祀に関わる呪物とも考えられています。
紀元前1万年~
ヨーロッパで新石器時代が始まる
- 南東ヨーロッパではおよそ4000年間(紀元前7000年–紀元前3000年)
- 北西ヨーロッパでは3000年以下(紀元前4500年–紀元前1700年)
考古学者たちは氷期の終わりに西南アジアのレバント地域で初めて食料生産社会が出現し、紀元前8千年紀に地域的に独特な多数の文化へ発展したと信じている。エーゲの食料生産社会の遺跡は放射性炭素でクノッソス、フランキティ洞窟(en:Franchthi Cave)、およびテッサリアの多数の大陸の遺跡は年代がおよそ紀元前6500年であると測定された。そのすぐ後、新石器時代のグループがバルカンと南中央ヨーロッパに現れた。南東ヨーロッパ(バルカン、イタリア、およびエーゲ)の新石器時代の文化は、西南アジアやアナトリア(たとえばチャタル・ヒュユク)のグループとある程度の連続性を示している。
現在の証拠は新石器時代の物質的文化が西アナトリアを経由してヨーロッパに伝わり、そして北アフリカや黒海の草原地帯の文化との類似点はヨーロッパ「から」の伝播によるものであることを示唆している。
紀元前1万年前~紀元前8000年 トルコ ギョベクリ・テペの遺跡
紀元前6000年 メソポタミア ハラフ文化
シリアのトルコ国境に近いメソポタミア北部にある遺跡。ユーフラテス川に注ぐハーブール川が、平原で大きく北東に湾曲した所に位置する。紀元前5000年と想定される先史時代とアッシリア時代の遺跡で、先史時代はアルパチア、テペ・ガウラなどとともにハラフ期という文化期が設定されている。精巧につくられた彩文土器は、粘土を水漉(みずこ)しし、よく磨研され、化粧土もかけられている。彩文は動物文、幾何学文、人物文が描かれ、器形も種類が多い。装身具も発達し、スタンプ印章も金属器もつくられている。アッシリア時代のものは神殿、大宮殿の遺跡で、内部にはサソリなどの浮彫りがなされている。宮殿の南方には南城門があり、これらは前11世紀ころのアラム王国の宮殿であったことが知られている。
紀元前6000年 トルコ チャタル・ヒユスクのビーナス像
チャタル・ヒュユクは、現在のトルコ共和国、コンヤ市の南東数十km、コンヤ平原に広がる小麦畑をみおろす高台に位置する新石器時代の遺跡です。1961年に考古学者ジェームス・メラートによって「チャタル・ヒュユクの座った女性.」が発見されました。この女神像は、粘土でつくられており、2匹の猫(あるいはライオン)の顔をしたひじ掛けの間に裸で座っており、猫の頭に手を休ませています。穀物蔵から発見され、豊満で肥沃な出産の過程にある地母神を描写していると一般に考えられています。
紀元前6000年頃 中国 興隆窪(こうりゅうわ)
興隆窪文化はモンゴル自治区から遼寧省にかけて紀元前6200年から紀元前5400年頃に存在した新石器時代。紅山文化に先行する遼河流域の文明(遼河文明)のひとつとされています。ヒスイ、龍が存在する中国最古であり中国文明原点ともなる文化。ここから胸の手の下で手を組んだ女神像が出土しています。
紀元前4700年~2900年頃 中国紅山文化
中国河北省北部から内モンゴル自治区東南部、遼寧省西部に紀元前4700年頃-紀元前2900年頃に存在した新石器時代の文化。紅山文化の名は、内モンゴル自治区の赤峰市で発見された紅山後(こうざんご)遺跡に由来しています。紅山文化では農業が主で、家畜を飼育しての畜産も発達しておりブタやヒツジが飼い、一方では狩猟や採集などで野生動物を狩ったり野草を採りこともありました。
東山嘴遺跡の祭壇跡から発掘された土偶です。突き出たおなかは、妊婦を表したものとされています。
参考
ヨーロッパ方面
7千―6千年期のエーゲ海地方やバルカン各地では、男根を思わせる<鳥女神>像が盛んにつくられるようになります。
紀元前5700–4500年 バルカン半島 ヴィンチャ遺跡
ヴィンチャ文化は東南ヨーロッパ(バルカン半島)のギリシャ北部あたりで発展した古代ギリシャ前の文化。ここでは多数の縄文土偶と類似した土偶が発見されています。
ヴィンチャ(Vincha)文化位置
鳥女神は、体は「✙・平衡」、首に「sheveron・V 平衡」、腕と頭に「雨粒」を持った鳥の女神です。「雨による平衡の女神」にコーカサス地方部族の「鳥妖精」が習合しています。
参考
・http://zaru3386.blog.fc2.com/blog-entry-578.html?sp
・Dogu-Creatures of the Watery Abyss
・古ヨーロッパの神々(と女神)The Goddesses and Gods of Old Europe(1974:邦訳「古ヨーロッパの神々」鶴岡 真弓訳)
・https://bymn.xsrv.jp/nekomegami/2012ne/mg_07.html
紀元前5000~4400年頃 ギリシャ ディミニ文化・・・西洋の渦巻き発祥
渦巻の描かれた母子像(BC4,800~4,500年頃)
ヴィンチャ文化の南ギリシャのディミニ(Dimini)においては、「渦巻」模様の像や土器が発見されていることで知られています。
・http://www.fhw.gr/chronos/01/en/nl/nnii/index.html
紀元前4400~4100年 ヴァルナ文化
紀元前3500~2400年(縄文中期)
紀元前3500~2400年(縄文中期)長野県茅野市 棚畑遺跡 縄文のビーナス
縄文時代中期初頭になると火焔土器、土偶がみられるようになります。土偶は立体的になり、頭部と四肢の表現が明瞭化すると共に、土偶自体が自立できるようになってきます。黄金比を満たす渦巻模様なども施されたこの造形変化は、縄文時代の全期を通じて最も大きなものでした。しかし、突然に変化したのではなく、前期後半には顔の表情豊かな土偶が既に現れていました。
1986年(昭和61年)、長野県茅野市にある「棚畑遺跡』から、高さ27㎝の縄文時代中期にあたる女神像が発見され「縄文のビーナス」と名付けられました。頭は頂部が平らに作られ、円形の渦巻き文が見られ、耳にはイヤリングをつけたかと思われる小さな穴があけられています。
腕は左右に広げられ、手などは省略されています。また、胸は小さくつまみ出されたようにつけられているだけですが、その下に続くお腹とお尻は大きく張り出しており、妊娠した女性の様子をよく表しています。
縄文人が製作した土偶は、縄文時代の全期間を通して日本列島各地で満遍なく使われていたのではなく、時期と地域の両面で限定されたものであった。すなわち、縄文早期の更に前半期に関東地方の東部で集中的に使用された後、縄文中期に土偶の使用は一旦消滅している。その後、縄文後期の前半に東日本で再び土偶が使用されるようになる。一方、それまで土偶の使用が見られなかった九州においては、縄文後期になって九州北部および中部で土偶が登場している。
左:メソポタミアのイシュタル像
これは、メソポタミアの「イナンナ像」「イシュタル像」ととても形が類似しているのが特徴。
年代的にはこちらのほうが先なので、日本からシュメールに伝わっていった可能性も考えられます。
参考
紀元前3500~2400年(縄文中期)山形県 西ノ前遺跡 縄文の女神
地下1 mの範囲から左足、腰、頭、胴、右足など5つに割れた土偶が次々と出土。その後復元され、高さは45 cmと日本で発掘された土偶の中で最大級とされています。均整のとれた八頭身の美しい容貌で、縄文人が究極に再現された姿であることから「縄文の女神」と呼ばれています。
紀元前2500年頃 東京八王子 宮田遺跡 日本初の「子抱き土偶」
八王子市川口町の宮田遺跡から発掘した「子抱き土偶」は、乳児を抱いた土偶としては初めての発見でした。高さ71㎜と小さく頭の部分が欠損しており、母が子を横座りして抱きかかえて、あたかも授乳している様子で造作されています。母親には沈線で様々な文様が描かれており、特に膝の部分の渦巻きが印象的。赤ちゃんの方には目や口の表現の他、縄文時代中期前半期の土偶に特徴的なカモメ状の文様が眉間に刺突文で描かれています。
参考
・歴史系総合誌「歴博」第179号
・南高生が発掘した「子抱き土偶」
紀元前3500年~3100年 シュメール文明
ウバイド期に続く次の時期をウルク期(紀元前3500年-紀元前3100年)と呼び、この時期は都市文明の開始期.、ペルシャ湾近くウルクを中心としたメソポタミア領域に高度な文明をもつシュメール文明が花開き、最も古い神話シュメール神話が誕生。後にメソポタミア文明へと引き継がれていきます。
ニンフルサグ
エンキ(左)とニンフルサグ(右)が人類創生について話している場面
ニンフルサグは天空神アン(父)と妻キ(母)の子で、「エンリル」「エンキ」の妹であり、 運命を定める7人の神々の一人。エンリルとエンキも重要な神で、エンリルは荒々しく人間嫌いな風雷の神、エンキは知と水に関わり人を助ける役割を果たしていきます。
ニンフルサグは、兄エンキと協力し粘土から人間を創世し、人間に知識と創造を与えた女神。シンボルは子宮、Ω(オメガ)、蛇、金星、雌牛の姿で描かれることもあり、2本ツノをもっていることから、エジプト神話のハトホルに習合しているとも考えられています。
ニンフルサグは人類創生に関わった女神とされます。左図は遺伝子を組み合わせているものと考えられているレリーフ。上図は、遺伝子組み換えに失敗してできた人間で、記紀のイザナギ、イザナイの国生みで生まれた未熟児蛭子の話と類似点がみられます。
世界の女神のは乳を持ち上げた姿に類似したものが多数発見されていますが、その原点となるのがニンフルサグ。ニンフルサグの象徴オメガωを表しているものと推察されます。
そもそもの原初のlogos はどの地域からどのようにして出てきたものなのか。それはインドの原始ヒンズー教(タントラ教)の女神 Kali Ma の「創造の言葉」のOm(オーム)から始まったのである。Kali Maが「創造の言葉」のOmを唱えることによって万物を創造したのである。しかし、Kali Maは自ら創造した万物を貪り食う、恐ろしい破壊の女神でもあった。それが「大いなる破壊の Om」のOmegaである。
Kali Maが創ったサンスクリットのアルファベットは、創造の文字Alpha (A)で始まり、破壊の文字Omega(Ω)で終わる. Omegaは原始ヒンズー教(タントラ教)の馬蹄形の女陰の門のΩである。もちろん、Kali Maは破壊の死のOmegaで終りにしたのではない。「生→死→再生」という永遠に生き続ける循環を宇宙原理、自然原理、女性原理と定めたのである。「古代母権制社会研究の今日的視点 一 神話と語源からの思索・素描」( 松田義幸・江藤裕之、2007年
参考
・inanna goddess of life and royal power and her alter-ego ninhursaga
・蚊居肢
イナンナ
シュメール神話に登場するイナンナは、ウルクの守護神として崇拝されていました。
イナンナは、ニン(神、妃、女神、主)・アン(天、天神アン)・ナに由来する言葉で、「天の妃」と理解されています。また、アンにはナツメヤシの実の房の意味があるため「ナツメ椰子の房の女王」と解することもできるように、生命の樹とされるナツメヤシが好物。イナンナは、シュメール神話における金星、愛や美、戦い、豊穣の女神の象徴として崇拝されています。
両手を挙げているのは小文字ωなのか?
両手に鎚矛を持ち、背中に翼の生えた天の女主人・イナンナ
シンボルは藁束と八芒星(もしくは十六芒星)。聖樹はアカシア、聖花はギンバイカ、聖獣はライオン。
ナツメヤシは、イナンナの好物。旧約聖書のエデンの園の「生命の樹」のモデルともされている。
紀元前3000年~1200年頃 ギリシャ エーゲ文明
エーゲ文明は古代ギリシアにおける最古の文明。紀元前3000年にキクラデス文明からはじまり、有名なトロイア、ミノア、ミケーネの三文明へと引き継がれていきます。
紀元前3000年~2000年頃 地中海 キクラデス諸島 キクラデス文明
キクラデス諸島では、新石器時代後期から青銅器時代初期にかけて、キクラデス文化が栄えました。この文明で最も有名なのは大理石製の女性像で1400体ほどが見つかっています。胸の部分が強調され、妊娠しているものと思われるお腹のふくらみ、腕を組み逆三角形状の姿をしているのが特徴。
参考
・アテネ国立考古学博物館【1】エーゲ文明(キクラデス文明・ミノア文明他)
紀元前2600年~1200年頃 地中海 トロイア トロイア文明
エーゲ文明を代表する三文明のなかで最も古い起源を持つ最古の文明。
紀元前2000年~1400年頃 地中海 クレタ島 ミノア(ミノス クレア)文明
ミノア文明は、エーゲ文明のうち、クレタ島で栄えた青銅器文明。ギリシャ神話ゼウスの誕生の地であり、ミノタウルス伝説の地。キクラデス文明が終焉を迎えた紀元前2000年ころ、クレタ島にこれまでの集落の建造物とは桁違いの大きさを持つ「クノッソス宮殿」が出現し、ミケーネ文明の侵攻を受けるまで繁栄します。
参考
・イラクリオン考古学博物館
・ハナトモのベルギー→スウェーデン→オーストラリア→シンガポール日記
・イラクリオン考古学博物館
紀元前1600年~1200年頃 地中海 ミケーネ・ティリンス ミケーネ文明
紀元前3000年頃~同2400年頃 南米エクアドル バルディビア文明
南米エクアドルの太平洋岸にある貝塚遺跡バルディビア遺跡には、日本の縄文土器に類似した土器類が多数出土されていることが確認され注目されています。バルディビア遺跡はおよそ紀元前10000年前には始まっていることが確認され、紀元前6000年からトウモロコシ、瓢箪栽培がすすみ、紀元前4000年から土器類の制作が開始され、様々な形態の女神像も発見されています。
日本の縄文文化よりもやや遅れて発展していることからも、日本の縄文人が南米にたどり着いていた可能性も考えられています。
参考
紀元前3000年頃 メヘルガル遺跡の女神像
メヘンガル遺跡(紀元前7000年-紀元前2500年)は、パキスタン、バローチスターン州に位置し南アジアで最初期の農耕と牧畜の痕跡があるインダス文明初期新石器時代の遺跡から女神像が発見されています。
その形は粥見井尻遺跡で発見された女神像と同じく胸が強調され、足首あたりが逆三角形の形状をしています。
また、子供を抱く土偶も発見されています。
参考
・掌の骨董26.インダス先文化メヘルガル土偶 その魅力的で、奇怪な土偶の世界
紀元前2500~1800年 インダス文明 モヘンジョダロ遺跡
紀元前2400~1200年頃 縄文時代後期
紀元前2400年頃(縄文時代後期前半)長野県茅野市 中ッ原(なかっぱら)遺跡 仮面土偶
長野県茅野市湖東(こひがし)の中ッ原遺跡から出土した、全身がほぼ完存する大形土偶です。高さは34センチメートル、重さは2.7キログラムあります。顔に仮面をつけた姿を思わせる形であることから、一般に仮面土偶と呼ばれるタイプの土偶です。今から約4000年前の縄文時代後期前半に作られました。
「仮面の女神」の顔面は逆三角形の仮面がつけられた表現になっています。細い粘土紐でV字形に描かれているのは、眉毛を表現しているのでしょうか。その下には鼻の穴や口が小さな穴で表現されています。体には渦巻きや同心円、たすきを掛けたような文様が描かれています。足には文様はなく、よく磨かれています。この土偶は、土器と同じように粘土紐を積み上げて作っているため、中が空洞になっています。こうした土偶は中空土偶と呼ばれ、大形の土偶によく見られる形態です。
参考
紀元前2000~1000年頃群馬県東吾妻町 郷原(ごうばら)遺跡 ハート形土偶
縄文時代後期の作と思われる土偶。高さは約30.5cm。頭がハート型をしているのが特徴。乳房、妊娠線・産道が表現されており女性像であるといわれています。また、体には線や渦巻模様が描かれています。
紀元前2500~2000年頃 地中海 マルタ島 マルタビーナス
マルタはイタリアのシチリア島の南に位置し、地中海の中央部、シチリア島の南約93kmに位置しています。主要な島はマルタ島とゴゾ島、コミノ島の三つ。マルタの歴史は紀元前5000年頃、イタリアのシチリア島から農民が渡来したことから始まります。紀元前4500年ごろには世界遺産に登録もされている巨石神殿群が建てられています。ゴゾ島にあるジュガンティーヤ遺跡が最も古いもので、新石器時代(紀元前3600年から2500年ごろ)に建てられたもの。(エジプトのピラミッドより1000年はやい)
ジュガンティーヤ遺跡
マルタ島で発見された紀元前2500年頃つくられたとされる、世界唯一の先史時代の地下墳墓「ハル・サフリエニ」から「眠れる貴婦人」と呼ばれる女神像も発見されています。
ハル・サフリエニの地下墳墓
眠れる貴婦人
ハル・サフリエニの地下墳墓で発見された「眠れる貴婦人」
ハジャールイム神殿は、紀元前2000年頃に建てられたマルタ南岸の丘の上に建つ神殿。ハジャー「岩」とイム「崇拝」に由来しています。ここからは7つのマルタビーナスと呼ばれる女神像が見つかっています。古代の出土した女神像の多くは豊かな体つきの女神像が多いのですが、マルタ島のものも首がなく巨大で印象的な体形の像が多くみられます。
ハジャールイム神殿
マルタビーナス
参考
・ハル・サフリエニの地下墳墓
・驚きのマルタ国立考古学博物館で世界最古の巨石文明の謎に迫る!
・巨石神殿群
紀元前1750年 バーニーの浮彫 イシュタル像
シュメール神話に登場する豊穣神イナンナの系譜と地母神の血を引く、メソポタミア神話において広く尊崇された愛と美の女神[1]。戦・豊穣・金星・王権など多くの神性を司る。神々の始祖アヌ・神々の指導者エンリル・水神エアを3柱とする、シュメールにおける最上位の神々に匹敵するほどの信仰と権限を得た特異な存在。アッカド語では古くはエシュタル、後にイシュタルと呼ばれるようになった。この語は元来は金星を意味し、明けの明星としては男神、宵の明星としては女神であったが、最終的に1つの女神として習合された。イシュタルは様々な女神と神学的に同定され、英名ヴィーナスでよく知られるローマ神話のウェヌス、ギリシア神話におけるアフロディーテのモデルになったとされている
紀元前1200~400年前 縄文時代晩期
紀元前1200~400年前 縄文時代晩期前半 青森県 亀ヶ岡遺跡 遮光器土偶
亀ヶ岡石器時代遺跡(かめがおかせっきじだいいせき)は、青森県つがる市にある縄文時代晩期の集落遺跡。遺跡は、1622年に津軽藩2代目藩主の津軽信枚がこの地に亀ヶ岡城を築こうとした際、土偶や土器が出土したことから発見されました。遮光器は1886年(明治19年)に発見され、先進性(黒光りするまで磨き上げたものや、弁柄(べんがら)を混ぜた漆で赤く塗られたものまである)も認められるもので、縄文土器の最高傑作といわれています。目にあたる部分がイヌイットやエスキモーが雪中行動する際に着用する遮光器(スノーゴーグル)のような形をしていることからこの名称がつけられています。遮光器土偶は主に東北地方から出土し、縄文時代晩期のものが多い傾向にあります。
紀元前1200~400年前 縄文時代晩期 埼玉県 真福寺貝塚 ミミズク土偶
縄文時代後期から晩期の集落跡。真福寺貝塚は大正時代に発掘が始まり、一九二六年ごろ、「みみずく土偶」が発見され、その後重要文化財(重文)に指定されました。
紀元前130年~紀元前100年 古代ギリシャ ミロのビーナス像
ビーナス像の代表ともいえる「ミロのビーナス像」は、ギリシャ神話における女神アフロディーテがモデルと考えられています。1820年キュクラデス諸島にある小さなミロス島でギリシャ人のある農夫によって発見されました。当初は、断片の形で散らばっており、パズルのように組み合わせることで女神像となったことで発見につながりました。高さは203㎝の大理石で作者はこの頃活動していた彫刻家アンティオキアのアレクサンドロスと考えられています。